インド ダージリン2 ダージリンの街

  この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 NJP駅に着いて一泊したはずだった はずだったというのは

この街についてほとんど記録も記憶も無いのだ ただ 車やオートリキシャー

の ”車を運転している者が1番エライ” というような傍若無人な

ドライビングテクで広い道はドラッグレースと化し行きかう車道の真ん中を

置いてけぼりを喰らった数頭の神様(牛)が立ち往生してダンボールを

食んでいる風景しか残っていない

 ダージリンに行くにはここから ”トイトレイン”というサルが運転してそうな

ちっこい蒸気機関車が出ている このトイトレイン 世界遺産に’99年登録

され丁度なったか まだならないかの時期だった そんな旅心をそそる列車

だったが乗らなかった 今思えば信じられなくもったいないことだと思うが

その当時はとにかく先を急ぐような旅をしていて移動という旅の醍醐味を

味わっていなかった まぁ まだまだインドと自分の旅のタイムラグが

かなりあり ようは旅の時差ボケをしていたのだと思う

 このトイトレイン聞けばNJP駅から出発して終点ダージリン駅まで

の90km程を8~9時間かかるという 箱根駅伝ランナーと同じ

くらいの速度で走る しかも1日1本だったか2本 NJP駅近くから

ワゴン車やジープのダージリン行きがバンバン出ている これらの

車なら伴走はしないので2~3時間で着くという 別に一刻も早く

ダージリンに着きたいかとも思っていないけど 何の迷いも無く

ジープの運ちゃんにお金を払い サッサとダージリンを目指したのだった

 いつまで続く旅なのか分からないのにその国のペースに合わせる事が

できず自分のペースを強引に進めていたのが今思うと良く分かる

 ジープはNJPの街で見た狼藉な運転ほどではないが 段々と勾配が

きつくなり道が狭くなりながらもスピードを落とすことなくガタガタの道を

ダージリンへ爆走して我がケツは宙に浮く 勾配がきつくなると同時に

標高が高くなっていくと埃っぽい赤土色の景色から緑豊かな湿気を

含んだ景色に変わっていった あれだけ暑かったのに ひんやりした

空気がジープ内に入ってきて我が肺は気持ちいい

 インド国内にMTVが放映され若者はアメリカンポップに陶酔し

CoCa~Cola とペイントされた公園のベンチで老人が一休みする 

という インド人へのアメリカンカルチャーの刷り込みがジワジワ

進んでいく中ダージリンの道のりにLipton Brooke Bond など

紅茶を連想するイギリスの会社の看板が所々広告されていると

(現ユニリーバ傘下)やはりインドは元イギリスの植民地であった

ことを思い出す ♪♪紅茶のおいしい ダージリン♪♪

 ダージリンに到着 街の中心部らしき所でおろしてもらう

山の斜面にあるような街なのでとにかく坂の多い街だった

しかし そんな坂にヘキヘキするより今まで見てきたインド人の顔

ではなく いつか見たチベットっぽい人の顔が多くいることに

驚かされた街ということだった 20代のころ心のどこかに自分は

チベット人の生まれ変わりかも、、、と思っていたこともあり 思わぬ

チベットっぽい街にテンションは 紅茶→モモ へと変わっていった

 宿はその名前が気に入り前もって調べておいた地図の所に行く

すんなりチェックインにシーズンオフも手伝ってか通されたドミトリーの

8人部屋には自分1人といううすら寂しい思いもしたが ベット1つを

荷物置きにする という贅沢をさせてもらった この部屋はうすら寂しいが

街はうすら寒い 日中は調度いい気温だが日が影ってくると寒くなっていた

 インドなのに寒い 新鮮な感覚だった 旅に出て初めてパーカー(パイル地)

を出す バックパックの奥底のビニールに包まれていたせいか日本に

いた頃の匂い(香り)がして一瞬センチになったりする

 パーカーを羽織りサンダルからまだピカピカのシューズに履き替えて

街をブラブラする 街は観光するような所はさほど広範囲に広がって無く

バスの発着駅を中心として端から端まで歩いてもそんなに時間が

かからない その間ずっとダージリンの若者達は我がナイキのシューズ

に熱い視線をおくっていた 数年前の”マックス狩り”を思い出す

 『鼻が利く』というのは単に物質が放つ何層かの匂いの嗅ぎわけ

だけではなく そのものが放つ得体の知れないオーラを感じ取ること

もあるはずだ きっと俺も!私も!という人もいるだろうが自分にも

この店 この土地 この人というそのものが放つオーラを嗅ぎ取ることを

得意としていた 結果自信や自慢を持つことが多かった 

今思えば失敗も多かった気がする、、、)

 食事などは人から聞いたり情報ノートに掲載されてるところも利用

したが我が鼻を利かせて 怪しくても入ったお店が旨かったりすると

自分が発掘したかのように嬉々とし悦に入って旅人に紹介していた

 ダージリンの街にもそこだけポっとフンワリ明るく見える(ように見えた)

食堂がポツンとあった(ように見えた) 恐る恐る入り勝手が分からず

空いている席に座る 周りは日本人にそっくりなチベタンがボソボソと

食事している その土地の人気の食堂を我が鼻は探り当てたと勝手に思い

『モモ』 と力強く注文する 無表情で運ばれて来たホカホカのモモを

もしかしたらの生前の故郷の味と噛み締めた、、、、肉汁ゼロ 味ボンヤリ

たぶん水牛の肉の蒸し餃子風なチベット伝統料理を前に

我が鼻にかぎってそんなはずは、、、、、、、と思い 

もう1皿再度注文 再度無表情 再度肉汁ゼロ 再度味ボンヤリ

のモモは大変趣のある旨い食べ物だった と記憶と情報の

改ざんをしていた 「あの店のモモ旨かったよ」 と紹介した旅人に

今 謝りたい 

ただあの時は”旅の蓄膿症”だったと、、、”旅の時差ボケ”だったと、、、

 食事を終え外に出るとすっかり暗くなっていた 宿に戻りガラーンと

だだっ広い部屋に1人することも無いので毛布をかぶり 早々と寝てしまった

 翌朝 あまりの寒さに隣のベッドの毛布まで引っ張りブルブル丸くなって

いたが 楽しみにしていた外の風景を見るべく カーテンを開け

思い切って窓を開ける すると冷気が一気に部屋に入り込む 

外の風景はというとあたり一面霧でおおわれ5m先も見えない

 この宿が悪いわけでもなく行った季節や日にちが悪いだけだった

のだろうがヒンヤリしたモヤのかかった冷気に理不尽な怒りが混じる

 ここの宿の名は『Himaraya View Guest House』 という

 ここダージリンは紅茶も有名だが ヒマラヤを拝めるという

インド有数の避暑地だ

 旅のオマメ

 情報ノート……よく日本人が宿泊する宿には”旅人による旬な旅の情報”を記載していノートがある 昔は(2001頃まで?)はこのノートを頼りにしていた旅人は少なくない

  チベタン……チベットの人

 

2010-02-20 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed