インド プリー2 初日

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 暑さでフラフラになりながら転げ落ちるようにバスから降りた

朦朧とする中サイクル)リキシャーワーラーがワラワラたかってくる

”メインストリートまで○○ルピー”だの ”俺は××ルピー”だのワーラーが

ワーワー言っている

 ぐったりしてたのであまり値段交渉せず一人のおっちゃん(ワーラー)の

チャリに乗り込んだ(実はこの頃はまだ値段交渉がヘタクソだった)

 ”ここだ” と降ろされた所は時に魚臭く時に細かい砂が舞う目的地のプリー

だった 防風林だろうメイン通りを平行して木々が並んでいる その防風林の

向こうにひたすらに広いベンガル湾がある 宿はどこも海まで数分という好立地

 日本人が経営する宿もあり日本食が食べれるという 案外旅人には

知られた街なのかもしれない

 それでも宿はインド人が営む宿の個室にした 久々の個室に気兼ねなく

荷物を広げられ又散らかせる 夜や朝気を使って静かに過ごすことも無い

相変わらずのベットと机の簡素な部屋だが海の前というのと天井に備え付けの

プロペラのようなファンでリゾート気分にさせてくれる

又暫くの間スニーカーの出番は無さそうだった 一気にテンションが上がり

荷物の整理そこそこに海へ繰り出す 貿易風なのだろうか偏西風なのだろうか

我がクルクルのクセ毛を前後左右にかき乱し 我がヘインズの袖口をベラベラと

揺らす 湾といっても目の前のゆるく弧を描く水平線は海しか見えない

深呼吸すると風の向きで時々魚臭さを感じながら 浜辺を南へ向けて歩く

ひたすら歩く 1時間は歩いただろうか浜辺の向こうに大きい街らしき建物郡が

見えてくる まばらにいた浜辺の人々の数が急に増え始めた インドの人々も

夕涼みに浜辺を散歩するらしい 人が増えていく中そのうちの1人に声を

かけられた 妙に人懐こいハイテンションなインド人だ

(今思うとほとんどの人がだが、、)陽気な兄ちゃん(あんちゃん)だった

インド訛りの英語で矢継ぎ早に色んなことを聞いてくる

日本人であること 一人旅をしてること インドは初めてということ 学生(ウソ)

であるということ 一通り答えた後 陽気な兄ちゃんは”カメラを持っているか”

と聞いてくる よく見たら三歩後ろに下がったあたりに女性が立っている

綺麗な人だ 聞けば新婚旅行らしい 兄ちゃんは浮かれて答えた

どうやら陽気な兄ちゃん夫婦はカメラを持っていなく自分に記念写真を

撮ってほしいとのことだった 今はカメラを持っていないので明日の約束をして

別れようとしたら 写真を撮ってもらえるのが嬉しいのかどうなのか

 ”何か飲もう!”といって 街中に入り屋根のあるチャイ屋に入る 

BOX席に陽気な兄ちゃんと奥さんで横並びに自分を向かいにして座る

 陽気な兄ちゃんはテンションを高く維持したまま時々奥さんを見てニヤニヤして

幸せのオーラの花びらを散らかせ 色んなことをしゃべりテンションのオーラル

(唾)を自分の顔面に散らかせてくれた 何を更に話したのかもうすっかり

忘れたが この時の自分の英語力は『中2の秋』 といったまこと残念なもの

だった よくコミュニケーションが取れたと今更に思う 英語2 に擬態語3

ジェスチャー5 配合という英語力の無さを国際力(喜怒哀楽のハイテンション)

でカバーした賜物だったと思う 陽気な兄ちゃん夫婦はこの近くの宿だと言うので

明日の時間を確認してここで別れた チャイは結局ご馳走になってしまった

日はすっかり傾き夜が本格的になってくる浜辺をトボトボ帰ることになった

すっかり人気の無い浜辺に急に恐怖を駆られた 実はペロペロのズボンの

下にハラマキ型の貴重品入れをいつもしており パスポート カード類 

現金(3千USドル インドルピー数日分)トラベラーチェック5千USドル 程が

その中に全部入っていた 護身用のナイフは今日は持っていない 

ここで襲われたら最期だと今更危機管理能力に穴が開き始めていたか

と警鐘を鳴らしても すでに遅い 旅出発当時訪れる土地に

ろくすっぽ気にとめてなかったのに お金を分散して持ち歩くことだけは

注意を怠らなかった ハラマキ型の貴重品のほかにスニーカーの中敷の中にも

お金を分散して 後ろのポケットには何かのときのむき出しの50USドル

財布には今日使うだけのお金をいれ掏られないようにワイヤーがついていた

スニーカーは履かなくなり ワイヤーは引っ掛けて切れてなくなり

 後ろのポケットの何かのときのむき出しの50USドルはいつしか

ハラマキ型貴重品入れに一緒にしてしまっていた

 今にして急に後悔した まぁ 後は運だとハラを決めたつもりなのに

妙に腹から上下の動きがぎこちない 人がすっかりいなくなった青黒い浜辺に

インド人(たぶん)が海を見ながらしゃがんでいた

 黄昏時ではないから黄昏ていたのかは判らないが青黒い夜の

インド人(たぶん)シルエットはくっきり見えるが表情は見えない 

ここで襲われたら最期だ

彼の前方を足早と思わせない速度で通り過ぎる 恐怖の時 

何事も無く通り過ぎるが背後からが怖い

振り返ることも出来ずにそこからは足早に宿へと向かう 宿周辺と思う

所が見えた瞬間に恐怖がほどけて一気にグッタリしてしまった

 周辺の明るさとちょっとした賑やかさで心が落ち着くとプリーに来てまだ

水とチャイしか口に入れてないことに気づき腹が落ち着かない

 浜辺のコテージ風のレストラン(飯屋)がありそこでメシとする

 日記にはこの店でチョウメンとコーラ と記している 自称 酒好きの自分が

『夜』 『海』という最高ランクのシチュエーションにアルコールを頼んでいない、、

というかインドを旅してアルコールを頼んだ記録も記憶もほとんど無い 

インドは宗教上アルコールはあまりよろしく無くあまりアルコールを

置いていない 外でベロベロに酔っ払ったインド人を見かけたことが無かった

飲み屋でワイワイしていても外に出るとシャキっとして帰っていくインド人を

見かけたものだった列車でウィスキーを呑んでいたおっちゃんは大の大人なのに

警官らしい人にこっぴどく怒られていた 

ビールもなんだかコッソリ売られヒッソリ買って行く

 インドの物価にアルコール代がチャイやジュースに比べ並でなく高く感じたから

ケチったせいでもあるからビールを頼んでいないのもあるが 

あの場所で潮風にクセ毛を絡ませながら(なびかせて)飲むビールは

 さぞ旨かったであろうと夢想して今(2010)ビールをあおる

 

 心も腹もホっとして宿に戻り潮風と汗でベトベトの体をぬるい水シャワーで

洗い流す 鉄格子付きの窓を開けベッドに横たわるとプロペラのファン

のモーター音に混じってかすかに波の音が聞こえる

 『潮騒のメロディー』という曲目とともにちょっとだけ前歯の出た

高田みずえの顔をぼんやり思い出しながら曲はいっこうに浮んでこないまま

寝てしまった オッパイはまだ先の1日目の話でした

 旅のオマメ

 サイクルリキシャー….人力車の動力がチャリンコになったもの インド全域に見られる

 トラベラーチェック…….旅行用小切手 無くしても再発行できる 

 何かのときのむき出しの50USドル….強盗に襲われたとき用 これで穏便に済まそうと思ってました

 チョウメン……..焼きそば 中国語 チャオミェン(炒麺)が転じた言葉 旨い

 

 

2010-03-14 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed