旅の不定期コラム オッチャンのツイート

 旅の不定期コラムです

 歳月の流れを一区切りとする単位に『十年一昔』というのがある

10年という数字に区切りがしっくりするし ”最小公昔数” な感じもする

 長旅にでて11年帰って9年が経つ 一昔前の出来事だ

 21世紀に入りこの10年の時代の移り変わりの速さは更に加速したと

感じてしまう 段々と新しいものに順応出来ないことが出てきたという事は

”オジサン” というスペックが1つ又1つと増えてきているのだろうか、、、

 自分は昭和と平成を同じくらいしか!生きていない なので 昭和の

時代を遠き目で懐かしむ人達より少し若い世代だ が 昭和は青き春と共に

生きてきた最後の世代ではある

 いずれ20世紀より21世紀の方が長く生きられることが出来たら

ハイスペックを通り越しフルスペックな ”オジサン” になっているのだろうか、、、

 しかし自分を”オジサン”と揶揄するのは自虐的に他ならない

”オジサン”というと加齢臭とは別の”いじけた思想で時代の大河の流れに

乗れずユラユラ滞留している腐敗した臭い”というのがそこはかとなく感じる

 なんともやるせない気持ちになるのでこれからは自分のことや腐敗臭を

感じないオジサンを ”オッチャン”と親しみをこめて言おう

 このオッチャン(自分)も世の流れに巧くラフティング出来ているのだろうか、、

 タッチパネルは画面を強く押してしまいがちだし 

家電そのものは叩けば直ると信じている

 あたりを見渡せばプロスポーツ選手のほとんどが年下になった

『今だ現役』 という言葉を言ったヤツにムッとし言われた人にグッとくる

 気づけば自分達の青春を彩ったアイドルが白髪隠しのCMに出て

今のアイドル達は友人の子供と同い年 なんてことになっていた 

 やっと最近スパゲティーをパスタとよぶのに慣れてきたところだ、、、

 時代は移ろい流れる これは分かる

今の時代は ”そろばん勘定”では弾けないし 

渋谷の街の人ごみを”黒山の人だかり” とは言えなくなった

 時代は便利とマジョリティーに流れる これも分かる

 時代の流れは人々に平等に流れ 各世代で平等な速さでは流れない

 これを分かってもらいたい

 1999年から2001年まで世界をブラブラした 

’99年といったら ジャイアント馬場が亡くなり 郷ひろみが ♪アーチーチー♪♪

と渋谷でゲリラライブした年であって ’01年といったら iPodが発売され

アメリカ同時多発テロがおきた年であった、、、

 旅のマストアイテムにガイドブックがある 当時『地球の歩き方』『旅行人ノート』

がメインだった まだ『地球の歩き方』の本の側面が青かった時代だ

又 この当時発売間もない『旅行人ノート』はバックパッカーの為の本なので

特に人気があってアジア横断組は”アジア横断” アジア逗留組は

”メコンの国”を持っていた 今では 自分の持っていた”アジア横断”は絶版

後に改訂版となり ”メコンの国”は第4版になった、、

 バックパッカー達はガイドブックをコピーしたり 旅人から直接情報を

書いてもらったりと各々ガイドブックをカスタマイズしていった 又 

それでも情報が乏しい時は”日本人宿”というのが世界各地に存在して

この宿を目指した 宿には必ず”情報ノート”というものがあり

 各々が体験した旅の情報が網羅されていた

稀にポエム的なことも書いてあったりするが 大体が旅に役立つこと 

請け合いだった

このノートで旅人は旬な情報を得たり ノートに手書きで更新し直していった

カレーライスさん”手書きによる オリジナルガイドペーパー(フリー)

があったり 旅の先駆者が足跡を残してくれたりもした

 ”旅人の旅人による旅人の為のガイドブック”が各々にあった

今と(2010)違うのは ”旅人のアナログによる旅人の為のガイドブック”だった

 B.T(before 旅)少し前 旅人同士のアドレス交換は家のアドレス(住所)

であったが 自分がブラブラしていた頃からアドレス交換にE-mail を加えた

旅人が増えた メモ帳の途中当たりから多くE-mail が足されてきた

この頃はHot mailがほとんどで Yahoo!のアドレスは珍しく 

本当に”ヤホー”とよんでいた人が多かった(自分はヤッホーと思っていた)

そんな時代だった

 旅の師匠伊藤さん(旅日記1 旅のはじまり 参照)にE-mail addressを

作ってもらいその後のアドレス交換にはこのアドレスも書くようにした

 旅人と旅先での近況を分かち合う為 ネットカフェ(各地結構ある)に連日通い

今か今かと数日待って受け取ったmailはローマ字読みも苦ではなかった

 とある国の日本大使館宛に送ってもらった手紙を受け取りに

わざわざその都市まで行くのも なんの苦労も無かった

そんな 時代だった、、、、

 2001年2月 南米クスコという街の宿で日本人のオジサンに出会った

セミリタイアして一人旅に来ているのだという このオジサンの長ーい話の

中に「これからは携帯電話が色んな機能を持つ」と言っていた 

「世界中どこでも話せる」と言っていた これは分かる が 「GPS機能で地図

代わりになり 店や宿など街の情報が携帯電話1つあれば情報が得られる」

と言った 口角に泡を溜めながら力説していた 、、、 

「ガイドブックもいずれ必要にならなくなる」 とも言った

そんなバカな、と思った なにふざけたことを とも思った 最後のほうは鼻白んで

聞いていたのはホンの一昔前の出来事 それから数年後の2008年

メキシコをブラブラしている時持ってきていた携帯電話にmailが届く

勿論日本からだった 『今 メキシコだよーん』と送り返すと 

興奮した面持ちですぐmailが帰ってきた クスコのオジサン改めオッチャン!

申し訳なかっった!!

 これから携帯電話は更に進化して機能が充実していくのだろう

 こらからのバックパッカー達の中からガイドブックを持たず 携帯電話1つで

旅の情報を得て 世界のどこかで1人ぼっちでツイートしても世界中から

誰か答えてくれるのであろう、、、、

 時間と時代は速くなり便利になった しかし、、、

『まっすぐな道は つまらない』

種田山頭火の俳句だ 好きな言葉だ

 待ちわびた時間 たった1人物憂いな夜を過ごす時間 

古い情報で彷徨い歩いた街 一言も日本語を話さない日々、、、

 たまにはこんな不便がいいのだよ と これからのバックパッカーに

オッチャンは つぶやきたい

 コラムのオマケ

 そろばん….古典的な計算補助具 電卓に代わっていった

 渋谷の街…..今の10代後半~20代女性の7割は髪を染めた経験あり(美容データ)渋谷の街は9割の女性が茶髪(個人データ)

 日本人宿….日本人が集まる宿 時代と共に人気宿が変わる

 カレーライスさん….日本人の旅人 中東ではお世話になりました

 ネットカフェ……街のゲーム屋さんという側面も持つ

 種田山頭火…..五七五にとらわれない自由律の俳人

 

2010-06-11 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed