パキスタン アクロスザボーダー

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 今年はスパン空けずに載せていこうと思うしだいです、、、、、

 テロテロのターバンから漏れる襟足がビラビラたなびく中 我々5人一行を

乗せた立派なターバンのオッチャンがかっ飛ばすオートリキシャーは国境へと

向かっていた アムリトサルからアタリという街までバスで1時間 そこから

ターバンのオッチャンのオートリキシャーに乗り換えたわけだ

国境までまっすぐに伸びる一本道は綺麗に舗装され 街路樹の向こうは

のどかな田園風景が続いていた 牧歌的な風景を風で受けながインドに

着いた日を思い出していた

 カルカッタ(現 コルカタ)のダムダム国際空港を出るとほこりの混じった

シットリした空気に乗せて喉を絞るような怒号が身体を包む 呆然とする

目の先には鉄格子の間から細い手がこちらに向けて空を掴み 褐色の肌に

浮ぶギラギラした目が自分達を捕らえ離さない 真っ暗な道を走るタクシーの

車窓からオレンジ色の街灯の下で眠る牛や 急にヘッドライトに反射する

子供達の姿、、、、、

インドに興奮しながらも不安のクルタジャジャマをまとい脱ぎきれないでいたが

灼熱の日々を過ごすうち汗と一緒にまとっていた不安を脱ぎ捨てたのは すぐ

間もなくであって 訪れる街に心がボリウッド映画のごとく踊ったような

踊らされたような そんな感じであった、、、、、、、、、、、

 そして再び不安のシャルワールカミースをまとっていた 国境を越えると

そこはパキスタン、、、、、イスラムの世界である

 日本にいるとき 時に神頼みで神社に赴き神道に触れ 時に墓参りなどで

仏教に触れ 時にクリスマスでキリスト教っぽいことに触れ 時にヒンズー教は

アジアの雑貨屋で間接的に触れていたが イスラムの世界はブラウン管から

入ってくる西側経由の情報ほとんどで触れることが無かった、、、、、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 オートリキシャーのエンジン音が急に低くなり音が止まるとそこは国境だった

売店があり 余っていたインドルピーでお菓子を買いポリスチェックでパスポート

提示する 200m程歩くと東南アジアで見てきた掘っ立て小屋的な物では

なく立派な建物がある イミグレーションとカスタム 出国手続きだ

 隣人トラブルに悩まされる話はTVや口伝てで話を聞いたりするが 隣国

同士でも仲たがいしていることが世界にも見受けられる 宗教の違いから

だったり 民族問題 経済思想の違い そして多いのが領地問題であろう

隣人トラブルとあまり変わらない ここインド~パキスタンもお隣同士

すこぶる仲が悪い 歴史を辿っても2次世界大戦後 3回も戦争を繰り返して

いる(この2ヵ月後1999年 カシミール地方のカルギス地区で再び両軍が

衝突した) なので両国の問題が起きるとボーダー(国境)は閉じる事もある

 立派なヒゲとターバンのオッサンがヴィザを確認しながらパスポートに

スタンプを押していく ”持っているインドルピーは無いか?!” と

エラソーに巻き舌の英語で聞いていた インドルピーは国外持ち出し禁止

の為”有るなら置いてけ”的に言っていた 呆気なく手続きを終え 不安と

緊張をまといながらパキスタン側に歩く 300m程歩くとインドの国旗が

乗ったゲートをくぐる その向こう100m程に赤いゲートが見える

旅に出て知ったのだが国と国の間が割りとファジーだったりする 1本線で

仕切られているわけでなく数メートルから数キロまで マチマチだった

緩衝地帯というものがあるのだと初めて知った

パキスタン側のゲートにも国旗がある 三日月に星のマーク イスラムだ!

ゲートには小澤征爾が振るタクトの軌道を書いたような文字が書かれている

ウルドゥー語なのだろうかアラビア文字なのだろうか、、、

”ようこそ パキスタンへ!” 的な事が書いてあるのか それとも

”おまえはこの先アッラーの神の下絶対服従である” 的な事が書いて

あるのだろうか、、、なんだか後者に思えて仕方が無かった

 ゲートを抜けポリスチェックを抜け イミグレーションとカスタム ここで

働く役人は巧く説明できないがパキスタン人とインド人では違って見えたが

態度は同じエラソーであった パスポートを受け取り 興味なさそうにパラパラ

めくりヴィザを確認して名前 パスポートナンバーなどを記入していく

5人全員の入国チェックを済ませると ”結婚しているのか?”と聞いてくる

”全員していない”と答えると ”俺はこの年(パスポートを見ながら)には

結婚して子供を育てていた”と のたまっているのをサラリ受け流し 無事入国

カスタムもスルー すぐ先にはワガという街行きのバスがあり ワガで

再びミニバスに乗り換える ミニバスは席が埋まり次第出発というものだが

ギューギューに詰め込まれる ”バックパックが邪魔だから2人分払え”とか

もめたが我々5人の一行は荷物を抱え出発していた 荷物の大きいイトウさん

は大変そうだ、、、、 車窓から見える景色はホコリっぽく黄土色した世界が

広がっている(まぁ 窓が汚れているせいでもあるけど)

 そっと口の周りに生えたヒゲに手をやる ”よくぞ伸びてくれた、、、”

不安のシャルワールカミースをガッチリまといながら ミニバスに揺れていた

 旅のオマメ

 シャルワールカミース…..パキスタンの国民服(男性) ワイシャツに裾が膝下まであるワイシャツにエプロンがついた感じ ハンカチいらず

 イミグレーションとカスタム…..出入国審査と税関

 3回も戦争……印パ戦争 第1次’47~49 2次’65~66 3次’71年

 緩衝地帯……..強国間の衝突の危険を緩和する地帯 中立地帯 非武装地帯もこれにあたる

 三日月に星のマーク…..三日月はイスラムのシンボル 国旗に三日月があればイスラム国家

 小澤征爾……..国際的に有名な指揮者 

 ウルドゥー語……パキスタンの公用語 インド北部でも公用語

 ミニバス………トヨタハイエースを改造した庶民の足 定員日本の倍(きっと)スライドドアは開けっ放しが多い

2011-01-21 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed