旅日記4パキスタン

パキスタン ラワールピンディ1 さらばキレンジャー

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 パキスタンにフライングコーチという乗り物がある アルファベットで表記すると

FLYING COACH   たぶん、、、だ (以後FC)FCというのはエアコンが効いた

長距離用バスで 外ヅラは今までの旅の中でデラックスといって過言ではない

シロモノだ インドでは時に2人用シートにからだを埋めサスペンションがあまり

効かない縦揺れに頭を乱打し 時にあまりにギューギューに詰め込こんできて

ダッシュボードが我シートになったり 時に通路に人が寝ている上をまたいで

ツイスターのゲームをしているように無理な体勢で下車したり などなど、、、

とインドでのバスの旅と比べると申し訳ないようなバスであった

 (勿論 インド並みなバスもパキスタンにはバンバン走っている)

 無事 何事も無くYWCAで一夜を明かし ラワールピンディという都市への

移動の為 質の悪い排気ガスがいたるところで狼煙のようにたち込めている

ラホールのバスターミナルに来ていた ラホール1泊となんとも慌しかったが

早くフンザに行きたい逸る気持ちといち早くラホールを抜けたいという一心で

慌しさも苦にならない

 バスターミナルはバス同士がひしめきあってバスとの間は人一人が

ギリギリ通れる程だ バックパックをポーターに預けチップを渡す こういった

一連の動作も慣れたものになったものだった FC に乗り込むと 外ズラに

劣らない内装に遠慮の無いクーラーの冷気が汗ばんだ身体を包み クッションが

効いたシートにケツをバウンドさせる

我々5人一行はマクドナルド再び歓喜の声を上げ 走り出したFC に安堵の

声を漏らした 

 バスターミナルを出て暫くして思ったのだがFC の揺れが少ない デラックスな

バスだからでもあるがパキスタンの路はインドに比べいいのだと思う 昨日の

税金at Mac が公共事業に貢献しているのなら まぁ いいとしよう、、

 更に滑るようにFC が走る先は何と高速道路(有料) ループ状の道路をFC は

遠心力をかけながら上がっていく これだけでもさらにテンションも上がっていく

あれだけ騒がしかった道路は高速に入ると車が全然走っていない、、、、、、が

人がチョロチョロ走っていた 数人の子供がクリケットをして遊んでいたのだった

子供がノビノビ遊んでいるという事はそれだけ車がやってこないのだろう

 FC はスピードを落とすことなく子供達を威嚇し通り過ぎる 壁に避ける

子供達の1人と一瞬目が合う 意識が少年に移った気がして車窓から見下ろす

自分を見た気がした

 飛ぶようにFC はすっ飛んでいく 後ろの席のキレンジャーのご満悦な歌声が

聞こえてくる FC を揺り篭にキレンジャーを子守唄にいつの間にか

寝てしまっていた 寝たり起きたりを繰り返すこと6時間

次の目的地ラワールピンディに到着

あれだけ粉っぽく工具箱をひっくり返したようなラホールの街並みが

ここラワールピンディは路が広く空気も少し綺麗だ 街は大人しいように思う

ここはパキスタン第4の都市 首都のイスラマバードに近く1本道で繋がっており

日本でいう所の横浜ってトコだろう 違うところはラワールピンディは歴史的な

見所が欠しく首都で各国のヴィザ取得の為の宿泊地だったり フンザ地方や

中国を抜ける中継地点として使われるという旅人にとってイマイチ魅力に欠ける

街らしかった 勿論我々5人一行もフンザに行く中継地であることに違い無かった

バスを降り宿は再び永井さんがプレゼンする宿へと向かうことになっていたので

自然と宿に向かおうとするとキレンジャーが ”友達のトコに行く”とかで

ここでお別れとなった あまりに急だったのでここでの記憶が曖昧でどのように

別れたのか定かではない ただ見送った後姿をぼんやり覚えている

 旅をするということは数々の出会いと別れを繰り返し続けていく

まだまだ旅にブンブン振り回されていたこの当時(’99春)の自分は一々

人との別れに妙な寂しさを我クセの後ろ髪が引っ張っていた 新しい出会い

の期待より一抹の不安がよぎっていた 人に頼って旅をしていたのだった

ドップリ旅の醍醐味を愉しんでいなかったのだと今更に思い出す(’11春)

 キレンジャーのサッパリとした別れは数々の旅の場数を踏んできたもの

なのだろうか サッパリした別れにFC でのクーラーの余韻もあったせいか

クールに思う 後姿のキャップの下から覗くボウズ頭を見て『旅の猛者』 

と改めて思っていた

 今思うとアホな3人の男たちより私を守ってくれる人は別にいると思い

サッサと見切りをつけたのかもしれない、、、、、

 旅のオマメ

 ツイスター……ルーレットのような指示板によって示された手や足と指示された色(赤、青、黄、緑)の○印の上に置いていき出来るだけ倒れないようにするゲーム 男女で盛り上がるパーティーゲーム

 キレンジャー…..本名 キョウコちゃん この旅日記をみて これって私じゃね?と思ったキョウコちゃん ktmiskw@hotmail.comまで 連絡ください        

2011-04-15 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ラホール2 ラホールの思い出

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 YWCAにチェックインしてほどなくして 我々5人一行がテケテケ歩いて

向かう先はマクドナルド(以後マック) 我等がモモレンジャーとキレンジャーは

判らないが我ら3人の男衆は牛肉に餓えていた インドでは牛が神様なので

牛肉を食べることが出来ない(水牛は食べた)世界のマックでさえインドでは

ビーフ100%のパティが無い チキン フィッシュそしてビッグマック同等の

マハラジャバーガーはマトンだった 東南アジアでも肉といったら チキンや

ポークがほとんどで旅に出て以来牛肉は口にしていなかったと思う

 旅人達からラホールに”本物のマクドナルドがある”と聞いていた ”そこでは

ビーフ100%のハンバーガーが食べれる” そう聞いていた それだけで

インドにいたときからパキスタンのマックに思いを馳せていた(ちなみに 日本に

いる時はほとんど行かない この10年で4~5回程だ)

 ラホール到着後 とりあえず宿 とオートリキシャーでYWCAにかっ飛ばして

もらっている途中 マックを発見して 我々5人一行歓喜の声を上げたのだった

募る思いが肉汁のごとくあふれ出す、、、、、

 オートリキシャーを辿った道を反対にナガイさんが地図を広げてナビをしてくれる

我々5人がウロウロするときは ほとんどナガイさんが地図を引っ張り出して

ナビしてくれたものだった 感謝!!(現 10k増)

あっちだ こっちだと地図を確認しながらマック到着 ガラスの扉が綺麗だ

マックの中は広く子供達が遊ぶジャングルジムがある クーラーが効いてて

気持ちがいい 粉っぽい世界から急に原色の色使いの店内に目がチカチカ

する中カウンターに目をやると既にクルー達がこちらに非パキスタン的スマイル

をおくっている 口角を上げこぼれる笑みの歯が まぁ白い! そしてなんと

クルー達の中に女性も混じって一緒に笑顔をおくっている ここパキスタンでは

ありえない光景に思えて驚きが畳み掛ける ここのハンバーガーはビーフ100%

だがクルー達はお金持ち100%のご子息ご令嬢だ しかも美男美女 

モモレンジャーとキレンジャーはクルー達を『カッコいい!!』 とキャーキャー

盛り上がっていた やはり旅の猛者達も女の子なのだ、、、と安心する

英語でオーダーを聞いてくる イトウさんは英語ぱペラペラなので おのずと

先頭を切ってくれる モモレンジャー キレンジャーもオーダーしていく

今だ英語力が中2の冬程度の自分は後に続き 意を決して威厳よく

『ビックマックセット』を指差しオーダー クルーのリーダー格がなにやら声を

上げ それに続き他のクルー達が声を上げる 『青春』 そんな言葉が浮ぶ

くすぐったい思いで静観できないので周りを見渡すと 人がほとんどいない

メガネをかけたシャルワールカミースでは無い服を着た男性”がハンバーガー

をほおばっていた 支払いを済ませ席に着いたのだが お釣りがミョーに少ない

まさかマックでボラれることはないだろうと レシートを確認するとTAXが25%

(たしか、、)増税されていた あまりの高さに少なからずショックを受けたが

”パキスタンで笑顔で接客with女性クルー” という貴重な体験を

付加価値サービス税として処理する

 で 目の前にはビッグマックセット ポテトをつまみ口に放り込む ”ウーン”

と唸るが 冷静に考えれば味は普通 コーラで口直し イソイソとビッグマック

を開けると匂いが立ち上る 昔食べたハンバーガーの匂いとリンクするが

同時にインドで見てきた目がボーッと宙を彷徨っている牛が脳裏を過ぎる

ビッグマックを両手で持って上下してみる 重さが嬉しい ”これこれ!”

と再び歓喜する そしてデワデワと口いっぱいに頬張る ムッシムッシと

頬張る 懐かしい香りが鼻に抜け脳裏からウシが抜ける ウマっ♥♥

 我々5人一行は思い思いのオーダーに満足して声が漏れたりあげたりしていた

ソフトクリームも頂く これは必要経費 我々5人一行はソフトクリームが

大好きでもあった 雑談に花を咲かせ花畑となると外は夕暮れが迫っていた

胃袋が大きくなったせいか 心も大きくなり街の中心地までブラブラする

未だ外でパキスタンの女性を見ることが出来ない中 毛むくじゃらの男達が

こちらをベッチョリ舐めるように見ている 暮れがかるごとに人の目がギラギラ

うかんで見えてくる 再び我ケツに力が入る すっかり陽が落ちると辺りも暗い

街灯はあまり無く 店からこぼれてくる灯りを頼りに歩いているたのだが

急に人が出てくるものだから怖い イワシの群れのようにかたまって歩いていくと

ボワっと明るくともされている一画がある 屋台というかオープンエアな鉄板焼き屋

が軒(のき)は無いけど軒を連ねていた モーター音と客を呼ぶ声が騒々しい

自家発電の黄色いライトに肉の焼ける煙に虫が舞っているのが映る 匂いに

つられ灯りにつられ我々一行もその1つの店に腰を下ろす ベコベコに曲がった

鉄板に肉や内臓っぽいのが焼かれている よく見ると脳みそも焼いている

キャンωマっぽいのも焼かれているし 生でスタンバイされている 我股間が

キュっとする 全部ヒツジのようであった 黄色いライトの下 なんだか判らない

肉片をオーダーし食べるもそこまで旨い! という味の記憶が無い、、というのは

(それより)食べている周りを様々な街頭セールスがウロウロするなか

プラカードのような板に色々な形の『つけヒゲ』をうっている男を見て 思わず

笑ってしまっていたからだ これだけ毛ムクジャラの男達の中でも 毛深く無く

コンプレックスを感じている人がいるのだろうか それとも つけヒゲをした

姿が仮の姿としてイスラムの世界にいるのだろうか、、

どうかこの夜が何事も無く過ぎて行きますように と薄暗い煙の向こうの

つけヒゲを見て思っていた

 旅のオマメ

 クルー…..マックでは店を船に見立ててスタッフ達をクルーと呼んでいる

 メガネをかけた~…..ほとんどの人はお金持ちだ

 様々な街頭セールス…..タバコやガム 玩具や ベルト 延長コード 本当に様々

2011-02-03 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ラホール1 悪名高き街

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 ギューギューに揺れるミニバスの中 伸びたヒゲに手をやると 不安材料が

1つ減って安心する ナガイさんをチラ見する 人のよいナガイさんは ワァ 

メガネの奥がキラキラして(いるように見える)パキスタンに早くも興奮している

ようであった ヒゲはあまり濃くない、、、 イトウさんをチラ見すると荷物の件で

ご立腹なのか時にアゴを出して眉間にシワを寄せている 顔の50%は漆黒の

ヒゲに覆われている、、、、狙われるとしたら 自分かナガイさんだな、、、

そう思うと再びモジャモジャの不安が背後から襲ってくる

我々一行のモモレンジャーとキレンジャーは澄ました顔をしていたが

”女性が1人も歩いていなーい!”と外を見て言っていた 彼女達も又女性

なりの不安を抱えているのだろう

 無事パキスタンに入国しワガという小さい街を出発したミニバスはラホール

という街に向かっていた ラホール パキスタン第2の都市 そして治安が悪い

と言われる都市 インドから陸路でパキスタンに入ると必ずこの街に寄ら

なければならない(たぶん) 又 逆も然り

 当時バックパッカーの間ではイスラムの世界では『ホ♥』 が多いと

囁かれていた イスラムでは同性愛がご法度だ 止めろといわれて燃える

恋愛と同じであろうか

 治安の悪いラホールという街は『ホ♥』の輩が多いという側面を持ち合わせて

いる と旅人の話からよく漏れていた 想像のラホールの街は側面が表正面

全面に出てきていた 都市伝説であろうが 泊まっていた宿で深夜熟睡して

いると カラクリ屋敷さながら壁が回転したり 天井の1部が開いて毛むくじゃら

の大男が寝込みを襲う(男性専科) という話のネタは”ラホール”で という

前置きが多かった(旅のコラム ゾっとする話 参照)

 チャダやタイガージェットシンは立派なヒゲを生やしていたが ’99年当時

インドの若者はヒゲを生やさなくなってきた と聞いていた(シク教は除く)

そう言われると若者達はヒゲを生やしているほうが少なかった 理由は

ボリウッド映画スター達がヒゲを落としていったからだ(と聞いた)

キムタクを真似したヘアスタイルが流行るのと似ている

しかしパキスタン(イスラム)ではヒゲは男のシンボルであって ヒゲが無い

男は 女々しいとか オカ♥  などと言われ また ホ♥の格好の餌食である

らしかった 男を象徴する為か カモフラージュする為かパキスタンの男達は

老若ヒゲを生やしていた ヒゲ無き異教徒がパキスタンを旅するのは

ゲイナイトに男1人遊びに行くようなもの” としてみる輩もいる ということだ

 車窓から建物が多くなり 交通量が増えていく ラホールに近づいている

ラホールが 『La Hole』 と思えて仕方が無い 『ホ♥のトラの穴

そんな風にも思っていた ワガを出発して1時間後 ラホールに到着

街はヒゲの男達でごった返している やはり粉っぽい 皆シャルワールカミース

をまとい 女性の姿は本当に何処にも見当たらない 男達は肉食だからで

あろう体格がよく 全身体毛が濃いと想像できるのは つながった眉毛や

ヒゲでわかる 肉欲が強いだからであろうか、、、、、インドと違った衝撃が

背筋に毛むくじゃらの指がなぞる

 見渡すと我一行の他に外国人は見当たらない 人々の好奇の視線が

我々をベッチャリ舐め回す 我ケツに より一層の力が入る

キレンジャーは飄々と平気な顔をしている 旅の猛者だ

とりあえず宿だ 治安が悪いと聞いただけにバックパックでウロウロして

いるのは危険だ ここに来るまでに宿は『YWCA』 と意見は一致していた

ナガイさんの”ここしか信用できない!”というプレゼンに皆乗ったのだった

勿論自分は異論が無かったが キレンジャーは何処でもいいんじゃなーい

とでも言いそうな気がする イトウさんも 何処でも又平気だと思う 

 YWCAは街の中心地から3キロほど離れていて不便だ 旅にリスクは

付き物だがここは 『ケツと操は(背に腹)はかえられない』 のだ

YWCAまでオートリキシャーでかっ飛ばしてもらい チェックイン

ちなみにWだけど男も泊まれる この当時(’99)日本人がラホールで

泊まるといったらここだった モモレンジャーとキレンジャーは別の棟の

部屋に通され我々3人は5人様のドミトリーに通された YWCAは周りに

柵こそ建ててあるが大男達なら簡単に乗り越えることが出来る高さで

ドミトリーの部屋の扉はヨレヨレで体当たりしたらすぐ開きそうだった 

再び毛むくじゃらの不安が背後から襲う

 旅の嗅覚はベッドにも及ぶ 安宿のベッドにはダニや南京虫が定住している

事もあるので 怪しいベッドは避けるように鼻を利かせるのだった(それでも

刺されることもある) 各々の鼻を信じ ”このベッド!” と決めていく

自分は扉から遠いベッドを素早く選択

 絶対うつぶせでは寝ないようにしよう 固く固くケツ意するのだった

 旅のオマメ

 ボリウッド映画スター…..当時シャールクカーン大人気 通称コニタン(イトウさん命名)小西博之似

 ゲイナイト……ゲイのためのイベント

 トラの穴……漫画タイガーマスクの修行の場所 悪役レスラー養成機関

 YWCA…….Young Women’s Christian Association キリスト教女子青年会

 ダニや南京虫……刺されるともの凄く痒い

 

2011-01-24 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン アクロスザボーダー

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 今年はスパン空けずに載せていこうと思うしだいです、、、、、

 テロテロのターバンから漏れる襟足がビラビラたなびく中 我々5人一行を

乗せた立派なターバンのオッチャンがかっ飛ばすオートリキシャーは国境へと

向かっていた アムリトサルからアタリという街までバスで1時間 そこから

ターバンのオッチャンのオートリキシャーに乗り換えたわけだ

国境までまっすぐに伸びる一本道は綺麗に舗装され 街路樹の向こうは

のどかな田園風景が続いていた 牧歌的な風景を風で受けながインドに

着いた日を思い出していた

 カルカッタ(現 コルカタ)のダムダム国際空港を出るとほこりの混じった

シットリした空気に乗せて喉を絞るような怒号が身体を包む 呆然とする

目の先には鉄格子の間から細い手がこちらに向けて空を掴み 褐色の肌に

浮ぶギラギラした目が自分達を捕らえ離さない 真っ暗な道を走るタクシーの

車窓からオレンジ色の街灯の下で眠る牛や 急にヘッドライトに反射する

子供達の姿、、、、、

インドに興奮しながらも不安のクルタジャジャマをまとい脱ぎきれないでいたが

灼熱の日々を過ごすうち汗と一緒にまとっていた不安を脱ぎ捨てたのは すぐ

間もなくであって 訪れる街に心がボリウッド映画のごとく踊ったような

踊らされたような そんな感じであった、、、、、、、、、、、

 そして再び不安のシャルワールカミースをまとっていた 国境を越えると

そこはパキスタン、、、、、イスラムの世界である

 日本にいるとき 時に神頼みで神社に赴き神道に触れ 時に墓参りなどで

仏教に触れ 時にクリスマスでキリスト教っぽいことに触れ 時にヒンズー教は

アジアの雑貨屋で間接的に触れていたが イスラムの世界はブラウン管から

入ってくる西側経由の情報ほとんどで触れることが無かった、、、、、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 オートリキシャーのエンジン音が急に低くなり音が止まるとそこは国境だった

売店があり 余っていたインドルピーでお菓子を買いポリスチェックでパスポート

提示する 200m程歩くと東南アジアで見てきた掘っ立て小屋的な物では

なく立派な建物がある イミグレーションとカスタム 出国手続きだ

 隣人トラブルに悩まされる話はTVや口伝てで話を聞いたりするが 隣国

同士でも仲たがいしていることが世界にも見受けられる 宗教の違いから

だったり 民族問題 経済思想の違い そして多いのが領地問題であろう

隣人トラブルとあまり変わらない ここインド~パキスタンもお隣同士

すこぶる仲が悪い 歴史を辿っても2次世界大戦後 3回も戦争を繰り返して

いる(この2ヵ月後1999年 カシミール地方のカルギス地区で再び両軍が

衝突した) なので両国の問題が起きるとボーダー(国境)は閉じる事もある

 立派なヒゲとターバンのオッサンがヴィザを確認しながらパスポートに

スタンプを押していく ”持っているインドルピーは無いか?!” と

エラソーに巻き舌の英語で聞いていた インドルピーは国外持ち出し禁止

の為”有るなら置いてけ”的に言っていた 呆気なく手続きを終え 不安と

緊張をまといながらパキスタン側に歩く 300m程歩くとインドの国旗が

乗ったゲートをくぐる その向こう100m程に赤いゲートが見える

旅に出て知ったのだが国と国の間が割りとファジーだったりする 1本線で

仕切られているわけでなく数メートルから数キロまで マチマチだった

緩衝地帯というものがあるのだと初めて知った

パキスタン側のゲートにも国旗がある 三日月に星のマーク イスラムだ!

ゲートには小澤征爾が振るタクトの軌道を書いたような文字が書かれている

ウルドゥー語なのだろうかアラビア文字なのだろうか、、、

”ようこそ パキスタンへ!” 的な事が書いてあるのか それとも

”おまえはこの先アッラーの神の下絶対服従である” 的な事が書いて

あるのだろうか、、、なんだか後者に思えて仕方が無かった

 ゲートを抜けポリスチェックを抜け イミグレーションとカスタム ここで

働く役人は巧く説明できないがパキスタン人とインド人では違って見えたが

態度は同じエラソーであった パスポートを受け取り 興味なさそうにパラパラ

めくりヴィザを確認して名前 パスポートナンバーなどを記入していく

5人全員の入国チェックを済ませると ”結婚しているのか?”と聞いてくる

”全員していない”と答えると ”俺はこの年(パスポートを見ながら)には

結婚して子供を育てていた”と のたまっているのをサラリ受け流し 無事入国

カスタムもスルー すぐ先にはワガという街行きのバスがあり ワガで

再びミニバスに乗り換える ミニバスは席が埋まり次第出発というものだが

ギューギューに詰め込まれる ”バックパックが邪魔だから2人分払え”とか

もめたが我々5人の一行は荷物を抱え出発していた 荷物の大きいイトウさん

は大変そうだ、、、、 車窓から見える景色はホコリっぽく黄土色した世界が

広がっている(まぁ 窓が汚れているせいでもあるけど)

 そっと口の周りに生えたヒゲに手をやる ”よくぞ伸びてくれた、、、”

不安のシャルワールカミースをガッチリまといながら ミニバスに揺れていた

 旅のオマメ

 シャルワールカミース…..パキスタンの国民服(男性) ワイシャツに裾が膝下まであるワイシャツにエプロンがついた感じ ハンカチいらず

 イミグレーションとカスタム…..出入国審査と税関

 3回も戦争……印パ戦争 第1次’47~49 2次’65~66 3次’71年

 緩衝地帯……..強国間の衝突の危険を緩和する地帯 中立地帯 非武装地帯もこれにあたる

 三日月に星のマーク…..三日月はイスラムのシンボル 国旗に三日月があればイスラム国家

 小澤征爾……..国際的に有名な指揮者 

 ウルドゥー語……パキスタンの公用語 インド北部でも公用語

 ミニバス………トヨタハイエースを改造した庶民の足 定員日本の倍(きっと)スライドドアは開けっ放しが多い

2011-01-21 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed