旅日記1プロローグ
旅のプロローグ
旅日記を書くことにした
書くと公に宣言して
桜が咲いては散ってを5回繰り返し
オリンピックは3回催され
65回程月が満ち 世の殿方のムラムラをあおり
325日程月の障りで世の奥方のイライラをあおったり、しなかったりで
まぁ ざっと 5年が経ってしまった。
実を言ってしまうと、旅から帰って8年が経ち、旅に出て10年が経った。
その間、自分といえば、、、
人間的に強くなったと思えば、髪のクセの方が強くなったと思うし
髪のクセが強くなった一方、足腰が弱くなる一方で
尿酸値が上がるたびに うなだれて肩が下がる。
生命保険は徐々に高くなっていき 魂のろうそくは着々と低くなっていく
脂肪細胞は高騰を極め 脳細胞は大暴落した
なんだか 大不況である
よって旅の記憶もひどく曖昧模糊としたものになってきた
ここは1つ文章に残しておこう というのがそもそものきっかけ
だったと今更に思う
ある夜の帰り道 一瞬 花の香りが鼻について消えた
あの香りはどこからきたのか そしてどこへいったのか
見えない花を探して振り向くと 夜の向こうに明るくもない
星が瞬いている
昔は星を見ても何も思わなかった
今はいつか見た旅先の同じ星と思うと人恋しく肌寒くなった
このごろでも 心がじんわりしてしまう
美容を生業として10年 決して順風満帆とは思わないが
上司に恵まれ スタッフに恵まれ お客さんに恵まれた
そこそこがんばってきたと思う そして 丸10年を経てアブラが
のってこれから、、、というとき ハサミをおいた
人はなぜ?という 親はどうして?と問う 自分でも やめる
理由をうまく答えられない
今までのキャリアをおいて お客さんはスタッフに預けて
バックパック1つ背負って世界に出た
大変だ!と人はいう 危険だ!と親は言う これでいいのかと自分も思う
それでも旅に出ようと思った
まずは アジア横断 行けるちょっと向こうまで お金がギリギリ続くまで
そして気が済むまで、、、、
綺麗なテーブルクロスの上のステーキより
みんなでむさぼりついた少し焦げた肉のほうが旨かった
猫足の風呂 フカフカのベッドで寝るホテルより
外からもれる音楽を軋むベッドで聴いた宿のほうが寝心地がよかった
遥か時を隔てて習った言葉を話すより
耳で覚えたての挨拶をしたときのほうが自信がついた
クーラーの効いた1等車より
乗車率300%の2等車のほうが快適だった
喧騒の朝 人々のエネルギーに心が躍らされ
空腹の夜 満天の星空に心が満たされた
今にして旅を想う 「これでいいのだ!」と
もしも 運命の星というものがあるのなら 10年前の自分は
「旅をする」星の下にきっと ポツンと立っていたのだと思う
そしてあのころ 頭上を見上げたその先の星は
今花の香りの向こうに見える 弱く瞬いている星なのかもしれない
これからノラリクラリ綴る旅日記 アイマイにせずモコっともせず
自分のこれからの為に書こうと想う
ようやく重い腰を 弱くなった足で踏ん張って書きますが
かなり極端な主観になると思いますが それでも旅の回想を
一緒に旅してくれたら嬉しいです
2009/キンモクセイの香る夜
イシカワ
旅日記のはじめに
このブログを開いていただきありがとうございます
このページは美容とはまったく関係なく しかも毎日を綴った日記でもなく
旅日記となってます 1999年~2001年の世界一周バックパッカーの旅と
ここ最近の単発のバックパッッカーモドキの旅も織り交ぜて
書いていこうと思うのです なので 日々更新される
出来事は実は10年前だったりもします それでも 暇だったら
覘いてください
イシカワカツミ
ATTENTION
自分の得意とするなかに 『記憶力がある』 というものがある
時に大まかなアウトラインのみをのこし 細かいディテールは自信がないことも
多々あるが まあ ある方だ
この旅の回想録は記憶を頼りに辿って書こうと思うがもちろんそれだけではない
日記 写真 友人に宛てた手紙 その当時に出会った旅人と
再び逢って思い出話からもピックアップしている
ただ 一部の写真(未現像フィルム50本)と日記帳を
強盗にもっていかれ それ以降日記は頻繁に書かなくなってしまった
たまに出した手紙は友人から預かり 今連絡がとれる
旅人も常に一緒に旅をしたわけではないが 一緒に苦楽を友にした旅の間の
思い出話はついこの間のことのように思い出させてくれた
なのでこれらの素材及び自分の記憶の薄い場所はアカシックレコード
(忘却の彼方)にいってしまったので とくに 思い入れのある所 事柄
を書きますので あしからず
Special Thanks
イラストレーター 山﨑大悟君
旅の師匠Ⅰ 伊藤裕君
旅の師匠Ⅱ 持永幸寛君
日記のきっかけ 菊地洋之君 (現 一級建築士)
手紙 鈴木恵子さん