旅日記2アジア
旅日記 バージョンアップのお知らせ
山崎大悟氏によるイラストを タグ 旅日記2アジア 『アジアⅣ インドの憂鬱』
に描いていただきました
相変わらずシュールでファンキーです 忙しいのにありがとうございます!!
アジアⅣ インドの憂鬱
この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます
インドを前にして思うのが東南アジアは旅に優しかった ということだ
それでもヴェトナムのシクロの運ちゃんのボッタクリに怒り心頭し
カンボジアのLAND MINDの看板を見た後 松葉杖の青年を見て
やりきれない哀しい思いもしたが 夕陽に染まるメコン川のほとりで
飲むビールは無上の喜びと感じたのはラオスだった
いたる所で教えた子供達の『ガチョーン』の大合唱は楽しい思い出の1つだ
と まあ喜怒哀楽な日々は日常のイレギュラーな出来事を巧く消化するように
なっていった 消化したものは又好奇心を生み次なる
目的地への助走を加速させていった
バンコクに戻ってきたのはそろそろインドへ!と思ったからだ
なぜインドかといえばバックパッカーはインドを目指す、、、、
というかそれが当たり前と思っていた まあ アジア横断というのもある
正直自分の行く前のインドのイメージは悪い そしてすべてが厄介に思って
本やTVなのからの情報で勝手に悪い想像をしていた インドに行ってきた
という旅人達からは総じて人がウザかったということだ しかし
インドの話は決して苦虫を潰したような顔で話すのではなく
昔の悪友を思い出すように 何か楽しそうに話していた
が こちらは聞けば聞くほど不安が高まる
ガンジス川は激流の三途の川に
タージマハルは恐怖の館に
カレーは辛さ200倍に
インド人は全員タイガージェットシンに
イラスト 山崎大悟
妄想がグルグルとぐろを巻き 不安というバーの高さが勝手に上がっていく
今までの旅ではインドへ綺麗な放物線を描いて不安のバーを飛び越える
跳躍力(テンション)には助走(経験 情報)が足りないように思えてきた
不安がそうさせるのか何なのかバンコクに戻って暫くすると体調を崩した
食欲が出ずだるいのだ 今までの旅が知らず知らず体に
無理をさせたのかもしれないそうも思い クールなあんちゃんの宿から
冷房、ホットシャワー、TV付のホテルに一時引っ越した
(一泊あんちゃんの宿なら9泊出来る宿だ)
熱い冷たいが微妙でベストポイントがわからないままシャワーをあとに
スプリングのきいたベッドでMTVを見る クーラーの音で音楽が聞こえない
それでも80年代に活躍したお化粧バンドのチープな踊りをボーっと眺めていた
急に不安に襲われていた
あれだけ旅に対し強い憧れを抱いていたのに もしかしたら
忙しい日常とプレッシャーから逃げる為の手段だったのか、、?
思い出を作ろうと躍起に旅をしているのか、、、?
誰に読ませる訳でもない日記にこんなことをツラツラ書いていた
やはり筆圧は弱い
今にしてみれば逃げる為の手段だったということは無いが ただ本当に1%も無いか?
と問われたら 昔のこと 忘れた
だけどその当時 ”なにか思い出や旅のネタを作ろう”として旅をしていたのは
確かにあった
食事は無理に摂るようにしても1日1食だった 病気の不安もあり大便の
チェックをするイチゴジャムのようなウ○コ や チーズのようなウ○コが出たら
気をつけなければならない、、、、、、どこの話ではない
よく旅人からそんな話を聞いていた 旅に出ている自己管理は大便のチェックだ
今回のウ○コはウサギちゃんのソレだった やはり 今までの自分ではない
(当時の日記帳にはズラズラ綴った日記の横に宿名 値段 今日のメシ 買い物そしてウ○コの状態を書いていた)
それでもカッチカチのウ○コは別にして不安で固まった全身をほぐしてもらおうと
マッサージ屋へと出かけた オドオド系のメガネの青年に教わった馴染みの店だ
いつも通りマッサージをしてお金を払いお茶を飲んでいると お粥が出てきた
ん?? とマッサージのおばちゃんに顔を向けると ”喰え!”という
ジェスチャーから”顔色が悪く具合が悪そうだ ” というようなことがわかる
それだけ他人が見ても くすんでいたのだと思う
お粥を見ても食欲は湧いてることは無く正直食べる気がしなかった
それでも無理に口へ運ぶ ゆっくり このお粥は知っていた 地元の人達や
旅人にも人気のお粥屋さんのものだった よく通った店だ
自分も席が空くまで立って待っていたものだった
そこまでセンチになったわけではない ただ なんだかわからない不安で
へばっていた心がじんわり癒されていくことだけは確実だった
食べる姿をマッサージのおばちゃん達は見守ることも無く雑誌を読んだり
お客さんのマッサージをしている すこし涙腺が弛んでいても誰も気づかない
全部食べたかどうか記憶に無いが お粥代を払おうとするが受け取ってくれない
腕に力こぶを作るジェスチャーを見せる うなずいてこちらも力こぶのポーズに
上腕二等筋を指で押し上げて盛り上がりをオーバーに見せる ウケた
結局お代を受け取ってくれない ”又ここに来てね” と
ニコニコ営業トークするだけだ
『微笑の国 タイ 』
体を揉まれ優しさというソフトタッチで心を揉まれ 気持ちまでほぐされた
本当だった
『安らぎの都 バンコク』
インドに行っていろいろ廻って 又バンコクに帰ってきたらここに来よう
たくましくなった腕の力こぶを見せるのだ
そう思ったら インド行きが愉しみでしょうがなくなっていた
期待して思い出を作ろうと行った事より 何気ない日常のことがあとから
しみじみ思う、、、、、、、、事もある
思い出は作ろうとするより思い出すものだった
2日後インドのチケットを手配して心は早くもインドへと飛んでいた
*数年後ここの店に行ったが既に無くなっていた勿論おばちゃんの顔は忘れていたけれど、、、
旅のオマメ
シクロ……ヴェトナムのチャリンコタクシー
タイガージェットシン….プロレスラー 『インドの狂犬』カナダ生まれカナダ育ちという説あり
LAND MIND…..地雷
イチゴジャムのような…..赤痢の疑い
チーズのような…..肝臓や胆のうに異常かウィルスによるもの
アジアⅢ 旅って
この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます
あれだけ何か1つ買うにしても大変な思いをしたのはtime goes by
首にはビャクダンで作った長いネックレス 手首にはボダイジュの実の
数珠をつけ サンダル履きの毎日で足の裏が真っ黒になり始めたのは
そんな時が過ぎ行くないくらいだった
我がヘインズは中継ぎ無しの連日連投 なか6日(主力メンバー3枚)
を基本としたのだが毎日の酷暑の為毎日の着まわしヘビーローテーション
なか1日の洗濯(手洗い)に酵素の力でコウをソウし色は白いが
全体のアウトラインがやっとくたびれ始めたくらいだった
眠れる獅子 我がメラニン色素は急に色めきあって日に日に
肌は黒さを増していき いっつも起きている獅子我がクセ毛は
水シャワーと粗悪なシャンプーのせいなのか より一層ボサボサ
具合が 『流浪』というイメージを湧かせた
なんとなく アウトラインは旅人っぽくなった気がしていた(まだ3週間)
このころになると顔見知りぐらいは出来 宿のあんちゃんやよく行く
屋台のねーちゃんは気軽に挨拶や声をかけてきた(今思えば当たり前)
知り合った旅人とシェアメシして色んな旅のノウハウや国の話を
した(もっぱら聞くことが多かった)『地球の歩き方』を持ってキョロキョロ
している大学生風の旅行者を見ると つい微笑ましくお爺ちゃんの目で
見てしまう(こちらもまだ3週間) たった3週間で常連と勘違いし
耳年増になっただけなのに それだけで旅人っぽくなったと錯覚していた
そんな時旅の始めに出会い少しだけ世話をした青年に偶然出逢った
再会を祝し屋台でメシを喰うことになった この青年 申し訳ないが
たえずメガネのフレームのズレを気にして直してるような 自分以上に
オドオド系だった 旅ビギナーにして唯一こちらが心配してしまうような
青年だった
その青年がどうだ 赤褐色になった肌とずれたメガネから見えるボンヤリとした
白い肌とのコントラストが何かを物語っていた 聞けば ラオス カンボジア
ヴェトナムを廻ってきたのだという
カンボジアのアンコールワットで見た夕陽がすばらしかった だの
ヴェトナムで食べたバインミーはわすれられない だの
ビールはラオス だの 青年はスゴイ高配当なカードを出してくる
ポーカーでいうとこのフルハウスってとこだ
これに対して こちらは
あの屋台で働くねーちゃん達は似ているからといって姉妹ではなく従姉妹とか
あの宿のクールなあんちゃんは実はヘビメタ好きでヘッドバンキングの姿はホットだ!とか
いつも通る道のノラ猫達に子ネコが生まれた とか
イセタンは今月何日が休み という
2のワンペアというショボイものだった
呑んでいたビアシンが急に苦く感じた気がした
青年の生き生きした話は彼の全身から何かしらの自信のようなものを
感じられ 余裕が感じられた そして青年は言った
”いろいろなとこへ行き 見て 食べて 話してきた 短かったけど
楽しかったですよ もう帰ります”
汚れたメガネのレンズの奥の優しい目をした青年と握手して別れた
握力が強かった
自分が行ったとこといえば 主にカオサン周辺及びイセタン
見てきたと言えば よく行く屋台の従姉妹の見分け方 クールなあんちゃんの
ちょっとした仕草やノラ猫の模様
話したかといえば 頷いて話すより聞いてばかりだった
旅の日常はイレギュラーの連続 話す言葉からして日本語というレギュラーを
スタメンからはずされる このイレギュラーを愉しんでこそいろいろな所へ
行け いろいろなものが見れ いろいろなものを食べ いろいろな人と話が出来る
出発前に『自分探しの旅ですか?』と聞かれた事がある どうも自分は
これとは違う なんだか しっくりこないのだ
『世界をこの眼で観てみたい』
バンコクでボーっとしている間にも同僚や後輩達は益々美容の腕を揚げ
お客さんを綺麗にして喜ばしてるのだろう だったら自分はこの旅を後悔
しないものにしよう だったら単純にいろいろなものを見 食べ 話しかけ 感じ
だから又いろいろなトコへ行く そういうイレギュラーな日々を過ごすのだ
よって得た体験が後に何かに用立てたり利用出来たら儲けモンと思いたい
そろそろ旅に出ようと本気で思った
1999/3月 バンコク
旅のオマメ
ビアシン…….タイのビール シンハービールのこと
バインミー……フランスパン(米粉が入っている)にバターやレバーペーストを塗り甘漬の野菜 パクチー 唐辛子やハムをはさみヌクマムをかけたもの うまーい
地球の歩き方….ガイドブック その昔この本の側面が青色をしていてこの本を持っている=日本人ということで悪い輩の目印になるので青くなくなったという 説あり 今では韓国や中国にこの本のそっくりなガイドブックがある
アジア Ⅱ 旅の挫折
この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます
ハッと目覚め仕事に行くため ボーっとベッドから起きると
壁一面 緑色の風景におののく ブラウン管並みな速度で
頭のスイッチが入ると同時に昨日の事を思い出す
ここはバンコクだった バンコクとわかると首の周りが
タイの暑さでなんとも心地悪い シャワーを浴びるため
部屋を出ると廊下の窓から ムワっと湿った熱気と共に
バンコクの朝が見えた 明るいというだけで妙に安心
してしまい理由なき自信が出てテンションが上がる
タイ もらったかも!!
石鹸 シャンプーましてやタオルすらない状態で
シャワーに入る 覚悟はしてたが 水シャワーだった
頭からちょっとヌルい水をあび 心にムエタイ式ハイキック
をあびた
タオルの代わりにTシャツで拭く そして着る
なぜかアジアを旅するにあたり着衣は白いTシャツ
だと思い込んでいて 服といえばおろしたての
白いヘインズ3枚だった その内の1枚が2日目にして
絞り染めのようにうっすら汚れた 昨日よりカオサンに
馴染んだ気がした
洗濯がめんどくさいのでTシャツや下着のローテーション
は中継ぎ無し連日連投昔のイナオ大投手並みと覚悟していた
今日すべきこと1つ 宿を探すこと
このプリズンホテルからもう少し快適な宿を探そうと
荷物をまとめチェックアウト そういえばこの宿の名前は
なんというのかも知らなかった ホテルカードをもらうと
そこには GREEN GUEST HOUSE と書いてあった
バックパックを背負い次なる宿をあたっていく 次々宿を
あたり 次々部屋を確認していく まだ荷物は軽かったが
それでも目的の場所が距離や時間で計れないのは
面倒だった っで 結局出会った旅人に紹介されたゲストハウス
に居を構えることにした カオサンロードを1つ2つ通りと離れた
静かな宿だった 風通しの良い中庭があり部屋も窓がでかく
昼も明るい 8畳はあったと思う しばらくここが定宿となった
(1泊80バーツ) 荷物をおき身軽になると 再び気分も
身軽になりテンションも上がる
すべきこと2つ目 日用品の買い物だ
テンションの上がった状態で街を歩くとあれだけビビッていた
夜に比べ全望が見えてきた昼はうってかわって健全な街に
見える 昨日邪悪なスパイラルオーラが見えた(様な気がした)
奥の細道たちは犬が寝て子供が行ったり来たりしている
やっぱしタイもらったかも!!!
うだるような暑さの中スニーカーを履いてるのは
かなりなマイノリティーしかも新品No.1 in カオサーン
うっすら汚れたといっても おろしたての我がヘインズ&スニーカー
はたった今タイに着きました と全面アピールしていた
なんだかはずかしい、、、
若葉マーク(ピカピカのヘインズ&スニーカー)をつけた
自分の横をヨレヨレのTシャツにペラペラのパンツ ペタペタの
ビーサン そして手入れが滞っているボサボサの頭と
ボーボーのヒゲ こんなF1レーサーがのうのうと通りすぎると
羨望の眼差しで見てしまっていた
まずはサンダルだ ちょっぴり賑わってる店に入り
奥のサンダルを手に取りたいが なにせこの若葉マーク
ウィンカーと出しながらも(小声)なかなかスムーズに
中に入っていけない 心にムエタイ式ローキックを
もらいながらもやっとサンダルを手に取り値段を聞こうとする
やっかいだったのはこういう店(露天)はすべて
オープンプライス制を設けていることだった
自分……..タオライ?(覚えたて)
店の人…..******(タイ語)
自分………(ん?という顔を作り聞き取れなかったというジェスチャー)
店の人……電卓で表示
自分……..ウーン(と高いなあ と顔で表現)
バスケのドリブルのジェスチャー(値段下げて!)
店の人……ちょっとだけ数字を下げる
自分………又 ウーンとしてみる ドリブルのジェスチャーⅡ
店の人……フルフル頭を横にフル
あれだけ入っていけなかった首都高速道路(店の奥)はいとも
簡単に外へと出れてしまったのは既にムエタイ式の膝が
心の芯をとらえた時だった
やっぱしタイってか旅 駄目かも、、、、
2日目にして早くも挫折感を覚えたのでした
旅のおまめ
タオライ?……..タイ語で 幾らです?
イナオ大投手…..1961年には42勝をマーク 2000イニング以上投げ通算防御率が1点台
アジア Ⅰ 旅の始まり
よーく考えなくても そっくり信じてはいけない言葉が 世の中
には数多あるけど その中の1つ『大丈夫なんとかなるよ』がある
結構耳にしてきただろうし口にもしてきたと思う この言葉
耳にする時と口にする時とでは とてもスタンス ベクトルが
違うということだ 口にするときこの言葉に
”もう この会話を打ち切りたい”という ニュアンスが
多かれ少なかれ入っている だから 耳にする時
”(けっして)大丈夫ではないから(ちょっとは)なんとかしなければ
ならない” ということを汲み取らなければならない
大体は最終的に大丈夫になるし何とかはなるが
何とかしなければならないに 越したことはないのだ
旅のスタートにタイ バンコクを選んだ アジアを旅した友人に
アジアならまずバンコクだよ と聞いたのでそうしたまでだ
バンコクは旅人に時に人との潤いを与え 時に再びの出会いを
セッティングし 時に互いの情報を交換し 次の目的地への
テンションをくれる らしい
微笑みの国 タイ 安らぎの都 バンコク
バンコクのカオサンという旅の中継地点というか
旅のエアポケットというか そんなエリアがあるという
カオサンロード及びその周辺には安宿 安メシ
格安旅行会社などが密集し 各国帰りの旅の猛者から
旬な旅の情報を聞けたりするの にごり目の沈没組から
キラキラ目のフレッシュ組 アジアを旅するいろいろな旅人が
ゴロゴロしているという しかも 生活用品から旅の雑貨
古本(ガイドブック 小説)から イリーガルなライセンスも
発行してくれたりする場所もあるという
旅の友人にそう聞いた だから 旅の情報も ガイドブックも
生活用品もここでそろえればいいと思い スカスカのバックパック
に気合を入れたつもりで ビーマンバングラディッシュ航空 ××便
に搭乗した
とにかくカオサンだ
『大丈夫 バンコクに行けばなんとかなるよ』
そのままを鵜呑みにして 着いたタイ ドンムアン空港
(現軍事用 2009現在) なんとかイミグレーションを抜け
無事荷物を取り外へ出た ネットリと湿気を含んだ
生暖かい空気に南国の花の香りがトッピング
思わず深呼吸 ああ 外国に来たんだと実感し
ゆっくり 見回し そして思う
ここは どこ?
諸外国の人達が成田国際空港が東京だと思っているのは
どれくらいいるのだろう 東京ディズニーランドが東京には
ない というということをどれだけの人が知っているのだろうか
ここドンムアン空港がバンコクであってバンコクではない
(都会のど真ん中)と思っている人はどれくらいいるのだろうか
『大丈夫 カオサンに行けば何とかなるよ』
いつか聞いた言葉がリフレインする いつか言った友人の
顔がゆがんで渦の中に消える
カオサンどこ?
(情報を)何もたさない 何もひかない じっくりも熟成
されない我が頭に『カオサーン』というフレーズが雑音
に混じって カオサン と我が頭で一致する
全神経を耳に集中させて その単語のみを辿って
着いた場所はどうやらカオサンを通るというバスだった
ヨロヨロオドオド バスを指し『カオサン?』 オドオド聞く
『カオサーン!』 憮然と答える 微笑の国タイ 何処!
初めての民間タイ人との接触に成功して ヨロヨロ バス
に乗り込んだ 車窓から初めて見る タイの風景
割と看板が多く その看板もスタイリッシュだ
意外に(失礼しました)都会と思いきや 道のちょっと向こうは
すでに夜が暗い 友人同士で乗り込んだ外国人旅行者の
テンションが車中をザワつかせている 車窓に映る自分の
顔は平静を装っているが 明らかにテンパっていた
不安が膨らむたびに肝っ玉が縮んでいく
安らぎの都バンコク 何処!
それでも着いたカオサンはとっぷり夜もふけころだった
イシカワ on the カオサーン! で 宿どこ?
初めての土地に夜 着くというのはかなりなハイリスク
だと思う 暗くて街の全貌が伺えないし ちょっとした
暗い奥の細道はグルグル邪悪なスパイラルオーラが
見えた (ような気がする) まして バックパックを
背負った様は 動く全財産ジャパンマネー
カモがネギ背負ってやってくる よろしく(日本人)ピカピカ
のバックパックと背負ってウロウロしている姿は ゲイ専門
のヌーディストビーチに四つんばいになって歩くのと同じ位
カモ—ンな風景に思う
とにかく宿 手当たりしだいではなく 最初に目についた
宿に駆け込み「徹子の部屋」よりはましと思い 部屋も
確認せずチェックイン 案内された部屋は
トイレ無し シャワー無し 窓も無し 反超反発ベッドと
扇風機 約4畳半の全面緑の部屋だった(1泊250バーツ)
入ったことはないが マイルドな収容所といったとこだろうか
ベッドに寝転がり『大丈夫だった 何とかなった』
と思うようにしたのは 旅の1日目が2日目の何時間
かが過ぎたときだった
旅のオマメ
沈没………..バックパッカー用語 その土地に何するわけでもなくずーっとそこにいすわること 最低2ヶ月くらい
イリーガルなライセンス…….ここで国際学生証を作ってもらいました BAKADA university と書いてもらいました