旅日記3インド

インド アムリトサル1

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 去年の秋 天晴れな晴天の下 『ナマステ インディア2010』 なるものが

東京 代々木公園にて催されていた その一画のステージ会場でシットリ

歌っている人がいる 恰幅のいい姿 綺麗な日本語 たわわに蓄えたヒゲ

頭に巻いているのは立派なターバン、、、、、熱唱するその歌は

『面影の女(ひと)』 歌うはインドの男(ひと) チャダ だ

 昔々ぼんやりした幼少を送っていたころ ブラウン管からサーベルを口に

くわえ四角いジャングルで暴れまくるタイガージェットシンや流暢に日本語を

話すチャダを見て ターバンを巻いている人はインド人 インド人=ターバンを

巻いている人達だと思っていた ボンヤリにウッカリがアシストして外国人の

違いがさっぱり無く ターバンを巻いている人達はインド人でそれ以外は

アメリカ人とツルッツルの赤ちゃんの肌みたいな我が脳ミソではそうザックリと

カテゴライズされていた

やがて物心がボンヤリしながらもウッスラしてくると どうやら外国人と

いうのはもっと他の国から来ている人達がワンサカいると判ってきたし

齢を重ね10代後半ともなると インド人=ターバンというのは どうやら

そうでもないという処まできていた

そうして実際インドに来てみると訪れた場所の人達の中でターバンを

巻いている人達はごくごく少数であって オートリキシャーやバスの運ちゃん

の人達の中に見かけたぐらいであった わりと線が細い人達の中 ターバン

を巻いている男達は皆恰幅がよく ヒゲをたわわに蓄え 笑わない男達であった

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 アスファルトを溶かす勢いの太陽光線のせいなのか 近くの自動車整備工場

のせいなのか コールタールの臭いが何処からかする中 我々一行を

グルリ囲む男(ひと)達は皆 立派なヒゲをたくわえ 見事なターバンを

巻いていたのであった その場所は アムリトサル インドーパキスタン

国境に近い街だ

 ダラムサラでダライラマとの謁見待ちの間に ヒゲのイトウさんとメガネの

ナガイさんとで”パキスタンのフンザまで一緒に行こう” となんとなく

そういう風になって そこに女性2人が”国境を越えるのに一緒になった”

という 男3人女2人の一行であった それぞれが一人旅ではあったが

”チョットそこまで” と暫く一緒に旅をすることも少なくない

 実は自分も1人で国境を越えるのに一抹の不安をお姫様抱っこしていた

少々勝手がわからないでいたので イトウさんやナガイさんの申し入れは

渡りに(豪華客)船であった イトウさんは既に各国をバックパッカーとして

廻っており風貌からして流浪している人と誰もが想像できた ゴレンジャー

で言うところの アオレンジャーであった ナガイさんも外見こそはホッソリ

とした優男ではあったが(現 10k増)日本からユーラシア大陸の先まで

地を這うような旅をしている屈強な意志の旅人でありゴレンジャーで

言うところのミドレンジャーであった 女性2人も又 旅慣れていて 1人は

華奢な体つきながら『一撃』とプリントされたTシャツを着て周りを威嚇していた

ゴレンジャーで言うところのモモレンジャーであり もう1人の女性は旅に

髪が邪魔らしくボーズにしていた それだけで『旅の猛者』 と伺えた

ゴレンジヤーで言うところのキレンジャーであった そして自分はというと

1番旅のキャリアが無く 又屈強な意志があるわけが無い旅人であった

ゴレンジャー番組で言うところのゴン(スナック ゴンで飼われている九官鳥)

であった こうして アカレンジャー不在の5人一行はアムリトサルの地に

踏み入ったのだった バスターミナル近くの宿にチェックインし 荷物を

置いて街に繰り出す ココはシク教の総本山”ゴールデンテンプル”が建立

しており 巡礼にくるシク教の人達でごった返している ウヨウヨする男達の

ほぼ全員といって良いくらいたわわなヒゲに立派なターバンをしている

 インドに来て思っていたのだが褐色の肌に鮮やかな色の服飾がとても

よく映えて見えた 日本人に濃いピンクをあてがったところで どうも

浮いてしまったりしがちだが ここアムリトサルの男達のターバンも

とても色鮮やであって かっこいい 又 男達がムスっとしてればいるほど

色鮮やかなターバンの出で立ちがとてもかっこよく目に映えた

 あとで知ったのだがターバンの色によってはTPOがあるらしい

ここは国境近くとあってパキスタンの通貨を替えられる両替屋がいたるところに

ある レートは何処も一緒(99年当時 1インドルピー3.3円ほどで 

1パキスタンルピーが3円ほどであった)ホントみみっちいのだが 

ここで両替するのと国境で両替するのがいいのか判らず愚図愚図していた

今(2011)思うと数十円ほどの違いだと思うがこういうところでも

旅の負の考えに陥っていた まことに小さい旅人だった

結局持ち金の半分をパキスタンルピーに両替する 紙幣にはパキスタン建国

の父 ジンナーがプリントされていて橋幸男ばりにあらぬ方向を見ていた

ちなみにインドルピー札は口を半開きにした(様に見える)インド独立の父

ガンジーが斜め下を ワォ♥風にうすら笑っている(様に見える)

 巡礼の聖地のせいなのか アムリトサルの道路は広く交通量が多い

パキスタンルピーを数えながら道路を横切ろうとしたときであった

けたたましいクラクションの多重奏が我が鼓膜にサーベルをたてる

ハっと見ると路いっぱい広がったバイク達が突っ込んで来る

色鮮やかなターバンを装着したバイカー(125ccや50cc)の姿は

特撮ヒーローもののワンシーンを見ているようだった

                            イラスト 山崎大悟

 ヒーロー達は(轢こうとしたけど)スピードを落とすことなく粉塵を撒き散ら

せながら通り過ぎていく なんだかかっこよかった(轢かれそうだったけど)

 5人一行で ”せっかくだから気分”でゴールデンテンプルに入る

大理石を使った回廊の中央に100m四方程あろうか プールというか池と

いうか水を張った所がありその中央に黄金色に輝く本殿がある(だから

ゴールデンテンプル) シク教と同じように髪を見えないように布で覆い

靴を脱いで足を洗い裸足で入らなければならない 大理石の床は ヒンヤリ

して裸足に気持ちいい 丁寧に掃除されているようで床は綺麗だ 

さっきからずっと頭上から歌が流れている きっとシク教の有難いお言葉

をメロディーラインに乗せているのだろう

 中庭のプールというか池みたいなところに出る プールサイドというか

ほとり というかそんな所に家族であろうか 夫であろうオッチャンが 奥さんで

あろう人に静かに話をしている その周りに子供達が戯れていいる 

暮れなずむ中 家族越しの本殿は夕暮れに反射して琥珀色に輝いている

 喧騒に包まれていたインドの旅の中 とても静寂で柔らかい光景だった

 思い起こすとターバンを巻いた男達は皆 ムスっと笑顔こそ見せなかったが

わりと旅人達はは日本的付加価値を削ぎ落とした親切に触れていた思う

威厳ある優しさのサーベルに触れていたのだと思う

自分は轢かれそうになったけど、、、、

 旅のオマメ

 チャダ……世界初インド人演歌歌手 実業家 2008年再デビュー

 シク教……スィク教 シーク教とも呼ぶ 男性はターバン着用にヒゲを生やしている 体毛は切らないとの事 ヒンズー教と同じく 輪廻転生を肯定しているがカースト制を否定している 肉食をするので体格がいい 髪は切らないのでターバンの下はロン毛である

 フンザ……パキスタン北部の場所 

 色によってTPO….黄色は神聖な場所につけ 赤はパーティーなどのフォーマル あとはオシャレに皆凝っているそうです 他人情報

 ゴレンジャー….秘密戦隊ゴレンジャー スーパー戦隊シリーズの最初の作品 ちなみに九官鳥のゴンは人と会話していた モモレンジャーは最初竹下景子が演じるよていだった

 一撃…….空手 国際空手道連盟極真会館 一撃必殺の精神 オフィシャルショップに色々売っている しかし 今売っているのは横に一撃と書かれた物しかなく 彼女(モモレンジャー)が着ていたのは縦書きだった うろ覚えだが本当の極真の人から貰ったとか

 

2011-01-16 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド ダラムサラ 4 謁見後

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 『謁見』という 自分自身インド最大のイベントを終えると本格的に大陸横断が 

迫っていた

 狭いチーズケーキみたいな形の部屋のカッチカチでシットリしたマットレスの

これまたチーズケーキみたいなベッドに寝転んでガイドブックを広げ

ぼんやりルートを考えていたが 地図を広げると目が閉じてくる

 ダライラマに逢うため旅人の髪をよそ行きにセットしたりカットしたり 自分自身

Tシャツに刺繍したりと夜なべ続きで寝不足であった

 そのまま ウトウト突っ伏してしまっていた どのくらい経ったのであろう 

壁伝いに音楽が聞こえる スロゥでメロゥな曲だった ウィスパーな話し声も

曲の隙間から聞こえてくる  隣に部屋が(しっかりした部屋)あるらしく

そこから漏れてくる どうやら欧米系の旅行者のようだった 

丁度子守唄代わりになると思い本格的に寝てしまおうと はだか電球

をoffにしてチーズケーキみたいなベッドで惰眠をむさぼり喰い始めたときだった

お隣からスロゥでメロゥな曲にのせてなんともシットリした声が我が耳の鼓膜

に爪を立てる そしてその声は大小のウネリを増し音楽のテンポとは時に

不協和音となっていた 環七の前のオシャレなカフェのテラスにいるようであった

 目が覚め頭が冴えていく、、、、、、、、、この声って、、、、、、、

ガバっと上半身を起こすと足元の先にあるガタガタな机と壁の間がボワっと

そこだけ明るくなっているのが見える いぶかしんで机をずらすと そこには

5円玉の穴を少し大きくした穴があいていてチーズケーキみたいな部屋を

少しだけ明るくしていた 壁から曲と声が漏れるが光はココから漏れていた

 これって 覗き穴!?

”スペシャルルームがある!”、、、、、この部屋を借りる時 宿のオッサンの

顔と言葉を思い出していた この部屋は格安物件のほかに訳あり物件であった

 ダライラマ謁見後だったためミョーに我がハートは良心というオブラートが覆い

心が静寂であった が そんな時

 森の奥の奥の湖に一塊のドロを投げられた感じだった、、、、、静寂な湖面に

波紋がジワジワ広がっていき波をたてる ドロはジワジワ溶けながら深く

沈んでいく、、、、、、、

 この部屋を借りたのは偶然ではなく必然と思い ”せっかく”も手伝って

”ではでは” と心にモミ手をしながら覗き穴に片目をあてる

 白い布団越しに白い足が見える  ワオっ♥

スザンヌ.ヴェガの『ルカ』という曲だと判る しかし 布団が邪魔だ 

布団がしきりにモゾモゾしている スザンヌヴェガの透き通った声もいいが

布団越しの女性の湿った声もいい しかし 布団が邪魔だ

で 布団が動かなくなった 暫くして ウィスパーな話し声に変わっていた

『淡白』 頭に2文字が浮ぶ もっと荒波を蹴散らす黒船だと勝手に思っていた

だけになんとも拍子抜けしてしまった 頭が急に冷静になると 自分が覗いて

いることになんとも やるせなさとせつなさが混じり情けなくなっていた、、、、

 すごすご机を壁に戻しベッドに横になる いつまでもウィスパーな話し声が

聞こえる、、、、、訳アリ物件の部屋の夜明けは遠い、、、、、、、、、、ぜよ

 明後日はとうとう インド~パキスタンの国境の町だ!!

 旅のオマメ

 環七…….とにかくトラックの往来が激しい道路 環状7号線 テラスのカフェがあるのかは知らない

 スザンヌ.ヴェガ….1987年発表の「Solitude standing」の「Luka」は日本でも大ヒット ちなみにこの歌の歌詞は 児童虐待を受ける子供の視点から書かれている

2010-11-08 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド ダラムサラ 3 謁見

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 朝 外へ出ると旅に出て初めての天気であった

空には今まで見て感じてきた心も体も焦がすような太陽光線は 自分にも

ダラムサラの山々一帯にも射すことは無く ただただ暗い雲が低くたちこめていた

何処からかやってくるストロングな風が我がクセ毛を掻き乱し 『不吉』という

文字が浮び心も掻き乱す よりによって この日に、、、、、、

トイレに向かう階段から見える山の稜線に架かる雲を見て思っていた

、、、、、、、、、、

 頭に巻いているバンダナをきつく巻きなおし神妙な面持ちで チーズケーキ

みたいな形の部屋を出る 前日は旅人の髪をブレーズにして 宿に夜中に

帰って来たが興奮よりも寝坊してはいけないという緊張が神経をチクチク

刺激して浅い眠りのまま朝をむかえていた

 坂を上がりT字路にゴミを食んでいる牛を横目に左折して坂を下る

すると旅人やチベット人も同じ方向へと歩いていく

 今日はダライラマ14世との謁見の日だ

ダライラマの住むパレスに着くとボディチェックとパスポートチェックを受ける

門を抜け中庭に入る 中庭は既にザワザワ混んでいた 格好が綺麗な

欧米系の人達のなかにカターを持った人の他に 紙とペンを持った輩までいる

、、、、そんなのアリ? いぶかしんだまま 人々で詰まっていく中庭へと

押されるように歩いていく チベット人とそうでない人達とで割かれ 

バスケットコート2面程の中庭は人々でいっぱいになっていく

 先日ダライラマオフィスで謁見の手続きの際に紙の切れ端を貰っていた

10番台のシリアルナンバーがスタンプされたその紙の切れ端は 手の中で

ヨレヨレとなっていたが きっと謁見の順番だろうと大事にしていた

時間が経つごとに手の汗でヨレヨレになっていく 早く呼ばれないかと

背の高い外国人達に囲まれながらアゴを上げ空を見ていた

空は相変わらず暗く低い 風は時折ストロングにチベットの旗をたなびかせている

何処からか落ちてきた雨が風にあおられ頬にあたる よりによってこの日に、、、

、、、

 神がかるというのはこういうことなのだろう ドラマチックな展開というのは

こういうこともあるのだろう

 そろそろダライラマがパレスから現れるのではと 肌で感じていた時だ

時折我がクセ毛を掻き乱す風が止み さっきまで暗く低くたちこめていた雲の

間から1すじ2すじとサーチライトのように光が差し込んできた 人々のオオーッ

というの歓声があちこちから沸き起こる 天使のハシゴが下りてくるたびに 

人々のテンションが上がり歓声が増してくる 

 そして歓声が一段と高くなった

ダライラマ14世が現れたようだった、、でっかい外国人に囲まれて見えない、、

、、、、、  

 旅の舞台装置といいキューを出すタイミングといい「旅の神様」の演出はまさに

”神業”であった 又生き神様に謁見するということはこうまで劇的なのだろうか

自分自身テンションが高くなる というより 興奮で静かに震えていた

場の空気が変わるのが分かる

手に持っている紙は汗でシワシワだ

10番台なのでこのでっかい外国人たちをすり抜けなければならない

チベット人達が先に謁見しているようだった 緊張が高まる この日の為に

ヒゲの伊藤さんに話したい言葉を英語に訳してもらっていた 頭の中で反芻する

手に持っている紙は汗でヨボヨボだ

 人々の塊が少しずつ動いていく

手に持っている紙は汗でボロボロだ

 何処かしらに一縷の列が出来ていた 蛇行して長くつながっていく

番号を呼ばれる気配なし、、、、、

手に持っている朽ちかけた紙をジッとみる これは何??

 もう別によい! 素直に列に並ぶ 遠くに臙脂色をした袈裟が見える

リンポチェだ!!(高僧) 長い列が1歩又1歩進むごとに袈裟を着た数人の

リンポチェが見えてきた 実はこの日に至る前に旅人というかカメラマンというか

ミュージシャンといか 肩書きが双肩からこぼれそうな色々やってる人と

知り合っていた その人は”謁見の光景をカメラに収める”のだという

彼にダライラマとの2ショットとお願いしておいた そんな彼が向こうに見える

”頼んだぞ!!!”アイコンタクトで自分の所在をアピールする

 列がスムーズに進む リンポチェの間からダライラマ14世が見える

列がスムーズに進む 目の前にリンポチェの1人と目が合った 列が進む

ダライラマ14世が目の前にいた あれだけ頭の中で反芻していた言葉が

すっ飛ぶ、、、、、、、、、、

ダライラマの前に立った とっさに両手を出し握手する

タシデレ』 あれだけ反芻していた言葉の変わりに何故かこの言葉が出てきた

『タシデレ』 ヘソの下に響く言葉が返ってくる

で それだけ      そう それだけ 

握手した手はスルリ抜け ダライラマは列の後ろの人と握手している

隣のリンポチェから赤いヒモを頂き 謁見終了~   そう それだけ

ボーッとしながら小さい集団となった中の一塊に知っている旅仲間がいる

吸い寄せられるようにその輪の中に入る ”すごいオーラを感じた”という人がいる

”うなずきながら 話を聞いてくれた”と泣きながらいう女の子がいる

”なかなか握手をはなさなかったら隣のリンポチェに怒られたわー”と笑いながら

いう人がいる ”あっという間だったな”という男性がいる ”こんなもんなのね、、”

という人がいる、、、、けど みんな良い顔している

自分はというと 握手した手の残触を感じながら幼少の頃よく風邪をひた時

診察してくれた爺ちゃん先生のザラリとした乾いた手の感触を思い出していた

あっという間の出来事でも ダラムサラに来てよかった 

ダライラマに逢えてよかった 偽り無い事実だ ヒシヒシと感じていた

集団の中にヒゲの伊藤さん メガネの永井さんもいる 『赤いヒモを何処に

つけるか』という話題でパレスを後に旅人達とメシを食べていてもその話題は

いつまでもいつまでも尽きない

 旅のオマメ

 ブレーズ…..細かくみつ編みしたヘアスタイル

 カター……チベット文化圏では縦長のスカーフを挨拶しながら相手に渡す習慣がある ”誠心誠意 心から敬意を表しています” という挨拶のしるし カターの「カ」は口で「ター」は布あるいは印の意味 白色のカターが主

 タシデレ…..チベット語の挨拶 祝福を意味する

 赤いヒモ…..ダライラマ自らがブレッシングしたヒモ 結局首に巻いていた 数年後農業中に失くしてしまった

2010-11-06 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド ダラムサラ 2 謁見前 

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 ダラムサラという街は山の麓と中腹の上下の二重構造になっている

麓の街は褐色のインド人達が多くひしめきあって賑わっており インド人達は

ここをロウァーダラムシャーラーと呼び 山をつづら折に登っていくと中腹にある

街は亡命チベット人達(中国から)やチベット系の人達が多く住む街に

なっており人々は此処をアッパーダラムシャーラーと呼ぶ

旅人達はダラムシャーラー(ダラムサラ)というと中腹にあるアッパーのことを言う

 前日デリーから自分を乗せたバスは ユッサユッサ揺らしながら14時間を

要して終点のダラムサラ(アッパー)に着いた

 我がケツが肉まんの底みたいになっているようでケツを手であてがいながら

ヨロヨロバスから降りる するとバックパックは早々放り出されてロータリーの角に

転がっていた あわててバックパックを背負いグルリ見渡す ダージリンで見た

ような日本人によく似た顔がそこかしこにウヨウヨし 又 上品そうな

欧米人達がウロチョロしていた 山の中なので我が肺が心地よい 鼻息が荒く

なり背負ったバックパックのショルダーを掴んだ両手の握力がいつも以上に入る

 とりあえず宿を探す ダラムサラは小さい街なのだが世界中から

ダライラマ14世に謁見する為此処を訪れる外国人は少なくない

よってここでも宿はピンキリに多い 中心部は値段が高めだ 又山の中の為か

夜が冷えるとみえ 一見ショボイ宿でもホットシャワー付きという今までのインド

にとって付加価値はここではしっかり価値として認められ宿の値段も少しだけ

張っていた(今思うとインドの冬は普通に寒かった、、、)

 地図と街を見比べ 宿の値段と懐の予算を見比べ 中心地からヨロヨロ

外へ外へと進んで行くとかなり外れの方まで来ていた

 体に薄暗い霧がかかった疲労感をまとい 顔にストライプを入れた悲壮感を

出してある宿にヨロヨロ入る この宿も疲労困憊した宿のように見えたが

フロントにかけてある値段を見て宿のアウトラインとは想像も出来ない値段を

見てユルユル踵を返すとレセプションのオッチャンが ”チョット待て”という

”スペシャルルームがある” という ”オマエに其処を貸そう”という 

いぶかしんで値段を聞くと指3本立て ”30ルピー”(約105円)という

しかも ”個室だ”という いぶかしんだまま ”部屋を見たい”というと

外へ連れて行かれた この宿は歩いて来た側から見るとくたびれた感じが

したのだが反対側や内装は綺麗であり一部改築中なのか増築中なのか

なんだか判らない宿であった 宿は山にへばりつくように建っており その宿に

しがみつくように外階段があり そこを下りる 向こう正面の緑が力強い

見晴らしがすこぶるいい 景色に見とれてグラグラの階段を下りると宿を

支える柱の脇に無機質な部屋がある スペシャルルームだ 

なんだかボイラー室を思わせる外ズラだった 

中はあきらかにしっとりしてそうなベッドにあきらかに足の長さが違う机のみの

小売りのチーズケーキみたいな二等辺三角形の1ルームの間取りだった

広さ4畳ほどだろか 30ルピーに相違ない部屋だった 個室といっても

’部屋を着ている’というか’部屋の袖を通している’感のある個室だった

 窓が無く頭上に通気口なのか隙間があり 扉を閉めると陽がこぼれ

悲壮感(ホコリ)が舞っているのがよーく判る 渡辺篤史ならどこをどう

こそばゆく褒めてくれるのだろうか、、、、裸電球をつけなければ昼でも薄暗い

トイレシャワーは屋上にあるという 勿論水シャワー ようは従業員の部屋を

あてがわれた訳だが30ルピーの格安物件に疲労がアシストして暫く此処に

お世話になった

 3~4日が過ぎるとダラムサラが思いのほか居心地がいいのが判る

ダライラマグッズチベット関連の店がいくつもあり ついつい財布の紐が

弛み 食事はチベット系のものをよく食べ辛さがない為腹が弛むことは無い

又 日本人経営の日本食屋があったり欧米人が好きそうなケーキ屋さんが

あったりと思いのほか食の宝庫であった 又ビデオ上映するコーヒーショップ

があったりと暇をもてあますことがない この街で色んな旅人と出会い 再び

出会う旅人(伊藤さん 永井さん含む)とも合流した 意外だったのは

此処に来た旅人は皆『ダライラマとの謁見を強く望む』人達かと思いきや

”ダライラマって人がここにいるってきいたのでー”と呑み屋の看板娘を見に来た

ような動機が不純なような カジュアルに旅ネタの為に来た奴もいたりした

 ダラムサラに来れば当然ダライラマに会えると深く考えず信じていたのだが

ダライラマは此処を起点として世界アチコチ平和やら何やらを説きに廻っている為

常に此処に居るわけではなく 又政府の役人でも無く下々の民に影響を与える

有名人でも無い下々の民は年間を通して頻繁に謁見が行なわれるという

訳では無かった 更に聞けばここに来て数ヶ月待っている人がいるという、、、、

驚愕の事実だった ここでも相変わらずの他力本願に勝手に耳が拾ってくる

あやふやなダライラマ謁見情報に一喜一憂した日々を送っていたのだが

”近々謁見がある”という ざわざわ街自体が浮き足立つような情報に旅仲間は

色めきあった ”明日ダライラマオフィスで10時から手続きが始まる” という

情報に旅仲間のテンションのタコメーターが右に振り切るのだった

 本当にダライラマに会える 本当に

そう思うだけでインドに来てよかったと思う

 旅のオマメ

 渡辺篤史…..建物探訪の人Ⅱ

 ダライラマグッズ…..プロマイドからありがたいお言葉がプリントされたTシャツなどまで多数そろっている

 チベット関連……FREE TIBET とプリントものから仏画 チベットのビデオ 多岐に渡ってある 笑ったのが CHINA進入禁止のステッカー 笑えないのがビデオを買ってきたがPAL式の為日本で見られず、、、

 食事はチベット系….ヤクレストランという処の『ギャントゥク』という料理は タンメンとトンコツを合わせた感じのきわめてラーメンに近い料理 美味い!インドの美味しいベスト10に入る

 ビデオ上映するコーヒーショップ….外に上映時間と上映作品が書いてある ほぼハリウッド物 勿論日本語字幕無し スクリーンからテレビまで店はマチマチ

2010-10-07 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド ダラムサラ 1 ダラムサラへ

PCを打つのが苦手です いつも長い文章のクレームにもめげず 打っているのですが 未だに遅いです 調子こいてウッカリもあって 気づくと 宇宙あたりか古代からのメッセージのようになっています、、、、、なのでPCを打つのがチョイチョイしんどくなってました、、、、 オッチャンのツイート

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 で インドに来た理由は ”バックパッカーならインドをとりあえず目指す”

というかなんとなく周りがそうしてきている様な気がして 自分的には

肝試し的に来たこともあるが 大陸横断ってのもある

 で 実はインドに来たのなら是非お会いしたい(遠くからでもお目にかかり

たい)という人物がいた

 ダライラマ14世だ お会いしたい と思っていながらダライラマ14世は

いったい何処に居るのか 皆目検討がつかないでいた

 バンコク~インド上空で知り合ったサラサラヘアーのあんちゃん(インド

 カルカッタ1参照)が 『ダライラマならダラムシャーラーですよ』 と

東急ハンズのスタッフのように なんの迷いも無くサラリ言った

ミャンマー上空(たぶん)でダライラマ14世はダラムシャーラーに居る!

という思いがけない収穫は インドの地を踏んでから 心はダラムシャーラー

を”心のよりどころ”として崇めていた ただ『では早速』とダラムシャーラーに

向かうのはあまりにもカジュアルすぎていると思い 心技体をフォーマルに

するため 今まで様々なインドで 汗や涙を乾いた大地に染み込ませてきた

インドのお調子者にもちょっとのことでは腹を立てなくなり 牛のウンコを

踏んでも動じることもなくなり 右手の食事も道にいったものになってきた

と思う(個人感想) 移動のチケットもスンナリ買えるようになり  

ワラワラ寄って来るリキシャワーラーやお土産売りの小僧たちにも

惑わされず サラリかわす事が出来るようになった

 サンダルは磨り減り クルタパジャマはいい感じにテロテロ具合をまし

 我がヘインズは もはや ヘインズでした という過去形までなっていた

 とある対策として伸ばしたヒゲはじょじょに範囲を広げ一定の面積をようする

ようになり 我がクセ毛とメラニン色素はインド人とドッコイと思わせた(他人感想)

 そろそろ 頃合だと思った

 デリーの旅行会社のオッサンにダラムサラ(どうもダラムシャーラーという

発音が馴染めず 欧米人が発音するダラムサラと言っていた)行きの

バスチケットを手配し 翌日集合時間に旅行会社に行く

 インドに来て思ったのだがインド人の男性はご陽気者が多い

(ことカーストが下になればなるほど多いと思う 個人感想)

が ’99年当時笑顔で接客という感覚が(あまり)無い 他人に見せる

笑顔には価値があるわけでもなく 又付加価値としての意義も無い様に

思えた インドでは接客という骨格を限り無く削ぎ落とした というギリッギリ

のところを人に突いてくる 日本人ならグサリ心に突き刺さったり 血の沸点

が一気に下がる者もいるのだろう が ここはインド インドに習えばいいのだ

(1ヶ月もするとニコニコサービスが胡散臭くなっていた) が そう頭では

理解しているつもりなのだが 宿のあんちゃんがテレビだけを見ながら鍵

を渡すの受け取る自分がアタフタしたり 雑貨屋で買い物をしてお釣りを

ホイっと放り投げられ50パイサ玉や1ルピー玉を1つづつ拾う 自分に

やるせなさと刹那さを時にヒシヒシと感じていた 

 ここでも旅行会社のオッサンはエラソーに大きく手で ”ついて来い”風の

ジェスチャーでノッシノッシ先を歩き出した オッサンの後ろをペタペタ着いて

行くのを 昔(ほんの2-3ヶ月前)はこんなことにもよく腹を立てていた と

人の往来の激しい道を対向者とぶつかりながら諦観の思いで丸い背中を

追っていた ペタペタついて行った先は今度は車の往来が激しい所だった

”ここで待て”と巻き舌の英語でオッサンは言う オッサンはバスが来るのを

ムっとしながら(そういう風に見える)眼光鋭く(そういう風に見える)道路の

先を見ていた クラクションのけたたましいデリーの上空はターコイズブルー

とピンクとオレンジの夕方であった オレンジ色の夕陽を浴び目を細めながら

黄昏ていると欧米系のバックパッカー達がワラワラ集まりだしていた 

ふいに オッサンが探すように自分を見つけ あごを上げ ”バスが来た”

風のサインをくれる バスが止まり ”乗れ”風に手で促して ”じゃあ”と

手を振っていた 後ろからワラワラと先ほどの欧米系のパッカー達も

乗り込み着席する間も無くバスは再び走り出す 座席番号を確認し

辺りを見渡すとバスはガラガラであった インドに来て今まで

”肩身の狭い”体験をしてきた このバスは自分の隣には乗っていない

という 肘まで伸ばせる 快適空間であった のも 束の間

リクライニングがあまりきかず カッチカチのシートに揺られるこのバスは

14時間というここでもインドのカルマを背負うこととなる  

 旅のオマメ

 ダライラマ……チベット仏教において最上位に位置する活仏 如来 菩薩の化身の名称 チベットの国主として 又 チベット亡命政府の元首でもある 輪廻転生を信じているので ダライラマは亡くなると予言の地に転生するとされる 今(2010)現在14代目 14世は中国からの亡命してきた ’89年ノーベル平和賞受賞

 東急ハンズ…..メチャメチャ品数が多いホームセンターというかデパート

 とある対策で伸ばしたヒゲ…ゲイやホモと間違われない為 のちに役立つ

 カースト……今の社会から無くなった といっているが 職業カーストなるものが今だある そのため成り上がり精神が無い ところがここ最近では職業カーストの中にパソコン系のものが無かった為 そこそこ頭のいい人は頑張ってこの業界に入れたプチリッチがいる

 50パイサ…..1ルピーの2分の1

 カルマ……インドの言葉で、「行い」「行為」「作業」「用事」というありふれた意味の日常の言葉 因果応報っぽい解釈でいいと思います        

 

2010-09-13 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed