旅日記4パキスタン

パキスタン フンザ1 風の谷

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 スネークバーガーショップのなんちゃってハンバーガーは記憶の片隅に

置いといてサイドメニューのトロミと黒胡椒が効いたチキンスープが

思いのほか旨かったのだが とある店のチキンカラーヒゴシュト

ここでは断然1番旨かった!!

この先近代文明を優しく撫でるくらいの桃源郷にケミカル(化学調味料)で

犯された我がバカ舌をウットリ魅了する味はあるのだろうか、、、

ギルギットからフンザへとかっ飛ばすワゴン車が右へ左へとハンドルを

切るごとにぶっかリと被ったフンザ帽を直しながら思っていた

 とうとう フンザだ

 フンザに近づいてくると山々もドカドカ近づいてくる 正しくフンザ帽を被った

イトウさんが身を乗り出して山々をファインダーから射る姿からは

”タイガ~マスク タイガ~マスク”とシャウトする松本ひとし扮するキャッシー塚本

先生を真似る姿とは想像が出来ないほどベクトルの大きさは同じでも逆の

方向を向いていた 山々を射っていく背後には蒼い火柱が天に向かって

立ち昇っているような気がして その夢中っぷりがかっ飛ばすワゴンの

揺れに乗って伝播して(くるような気がして)我が旅のテンションを熱く上昇

させ気化する 広い草原を走っていたと思ったら 岩肌を削った岩のわきの下

をくぐったり川の流れに逆行してワゴンは走る 道幅は山に切迫したり

ポッカリあいた草原越しに新緑をまとった山もあれば岩肌がゴツゴツむき出す

山もある

 (フンザに向かう途中ランチ休憩 中に肉や野菜が入っている PHOTO イトウさん)

我々4人一行のダミ声×3に桃色の歓声がワゴン車ごと熱くする

ドライバーのオッチャンが周りを説明してくれる K2見えるようだった

 『K2? K2!』 キャッシー塚本先生のようにシャウトしているイトウさんの耳

からも蒼い火柱がでているようだった(気がする)

『K2! へ~』と自分も置いてけぼりが嫌なので 知ったかぶりをしながら

皆が見ている方へ目をサーチしながら泳がすも

『どれ?どこ? ってかK2ってなに?』 心のシャウトが空しさの鐘を鳴らす

この当時(1999 初夏)旅のアウトラインも大雑把だったが その中の

細かいディテールなどはことさら知らないことが多く後に大事だったことに

気づくのも多かった、、、

結局K2を拝むことが出来ず またどんなものかも確認できないままワゴン車

は躊躇なく走る ギルギットから出発して3時間

、、、とうとう フンザだ

ゼロポイントと呼ばれる三叉路の中心に小さい駐車場見たいな所にワゴンは

止まる つづら折りになって北西へ南東へ伸びるメイン通りの真ん中辺りだ

曲がりくねった坂道を上がったさらに向こうには雪を頂いたウルタル山

今さっきワゴンが上がってきた坂を見下ろす方向には神社の狛犬 さてまた

お内裏様とお雛様宜しく ニョッキリ2つの山が双璧をなしている

峰にうっすら雪をまとい 雲がその上を撫でていく ラカポシ(7758m)と

ディラン(7273m)だ フンザの景色といったらこの2つの山がランドマーク

の1つであろう 麓には川が流れ木々の緑がもくもくと濃い ラカポシ ディラン

間の渓谷にはその向こうの雪をたっぷり頂いた連峰からの雪解け

が麓に流れ 連峰にかかる真っ白い雲は稜線のシルエットをぼかしている

ワゴン車を降りた我々4人一行はため息とも取れる感嘆の声を漏らす

ぐるり見渡すフンザの景色は10年以上がたった今でも色褪せることは無いが

上手く伝えることが未だに出来ないでいる この景色を詩人ならどう表現

するのであろう 画家ならどんな色を塗るのであろう 音楽家ならどんな

メロディーラインを奏でるのであろう、、、自分はその横で そうそう!

と感動して同時に嫉妬するのであろう、、、きっと。   

素晴しい 綺麗 凄い ここではこんな言葉じたいが陳腐に思えてしまう

見上げる空の青や遥か向こうに連なる山々はスピルバーグだし

眼下に広がる村の緑や急にそびえ立つ山々は宮崎駿なのだ

しかし今(1999初夏)フンザ帽の下からうねるクセ毛をからめていく風や

その風が持ち上げた水をたっぷり吸った草に匂いや我々4人一行の感嘆の

つぶやきをもらすほどの景色はCGでもアニメでもなくすべて本物なのだった

灼熱のインドでいつか聞いた旅人の顔をボンヤリ思い出していた

旅人曰く フンザにいると何処からともなく ナウシカの中で歌われる

♪ラン ラ~ララ ラン ラッラ~、、、♪ と 小さい女の子の歌声が 

聞こえてきそうだ、、、という

自分も本当に思った ナウシカ1回しか観た事なかったけど、、、

 旅のオマメ

 カラーヒゴシュト…..トマトなどの野菜と肉のマサラ味の煮込み料理 あまり辛くない チキンやマトン味がある

                             PHOTO  イトウさん

とあるカラーヒゴシュトを出している店 オッチャンがケバブと野菜とチャチャーといためてくれる 

 フンザ帽….これ↓ ハネはオプション ニット帽をクルクル巻いていった感じ

FHOTO イトウさん

 キャッシー塚本先生….ダウンタウン ごっつええ感じのコントに出てくるキャラクター 四万十川料理道場の先生 アシスタントは今田こうじ 篠原涼子

 K2…..世界で2番目に高い山8611m カラコルム山脈の頭文字からきている K1~K5まであったがK2だけが この名前で残った

 ナウシカ….風の谷のナウシカはフンザがイメージモデルとされていると聞く(諸説あり)その後1回観ました 

  ♪ ラン ラ~ララ~…..ナウシカの中でオウムの触角?の上で戯れるシーンの時の歌 (うろ覚え)

2011-10-07 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ギルギッド2 習慣の違い

 皆様 残暑見舞い申しあげます

パソコン やっぱり苦手です、、、という言い訳で旅日記をサボっていました

以後気をつけます 前回の続きです

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 『習慣』 その国やその地方の人々の間で普通に行われる物事のやり方

社会的なしきたり 慣わしetc etc,,,(yahoo辞書参照)

知らない土地へ一歩赴くと今までの自分自身の培ってきた習慣の違いに

驚いたりする 海外に出ればそれはそれは驚くのは習慣も違いというのも

多かった 今となれば(2011)驚いた記憶の大半は風景や世界遺産より

ずっと多い その家や地方又国で根付いた習慣にはそれなりの理由が

あるだろうが身体や頭に馴染んでいるのは慣れだがこの慣れてる 慣れてない

の隔たりが大きく深い激流の大河だと対岸の景色は異様にも見えるし感じる

 インド辺りではチャリンコの2人乗りはハンドルとサドルの間に人を乗せ

運転手がハグする様な形で視界を遮られながらフラフラ漕いで行くのをよく見た

これがいつも男同士で甘酸っぱさはまるで無く苦酸っぱそうな光景に

見えたものだった インド、パキスタン辺りでは結婚前の男女が仲良くしている

のを見ることがなかった(1999当時)が同性同士ベタベタ仲良くしている

インドに着いて早々大の男が道端で座りションをしていて おや?と思うのも

束の間 大の男同士で手を繋いで歩いているのを見てさすがカーマスートラ

の国と思い これだけ人口が多ければ其方の組合の方々も多いのだな と

激流を渡った対岸の景色を見て心とケツが引き締まる思いをしたものだったが

聞けば インド辺り(パキスタン ネパールなど)男同士手を繋ぐのは習慣なの

だという 国が変われば大幅に習慣の違いがあるのだな、、、

と対岸の景色を傍観していた、、、、

、、、そして今(1999初夏) パキスタンの大男と手を繋いでギルギッドの

メイン通りをテクテク歩いている、、、、、、、、 

 山賊に襲われることも無く無事にギルギッドに着いた ラワールピンディーを

出発して15時間の旅だった この街はケイコさんという日本人がやっている宿

(ツーリストコテージ)があり日本人バックパッカーの交流の場(たまり場)と

なっているという 漫画『風の谷のナウシカ』が全巻そろっており フンザに行く

旅人にテンションを揚げ ケイコさんが振舞ってくれる日本食(親子丼など)

でまだまだ旅を続ける旅人のコンセントレーションを整えてくれる、、、、

のだと思う これだけの旅人達のプレゼンがありながら我々4人一行は

この宿に泊まらなかった フンザに行くのだけれどナウシカに興味を

持っていなく 又 日本食に餓えているわけでもないのだったが1番の理由は

バスターミナル(現在地)から遠かったからだ そんな訳でバスターミナルの

近くの宿にチェックイン 掘っ立て小屋を少ーしクオリティーを高くした感じの宿

(個人感想) ドミトリーの部屋だ(男女別)

 澄んだ青空と庭の緑が眩しいせいで部屋の中は暗くてよく見えない

 各々直感でベッドを選び 各々荷物を出す

 ギルギッドは山間部なのでシャワーは時間制ではあるがホットシャワー

(極めて温め)が出る 旅をしていると安宿のホットシャワーは太陽熱を利用

したり電気を利用したりしたものがほとんどで 太陽熱はソーラーパネルが

小さい為限り無く温く 電気は極たまーに水に漏れ感電するのだった 

(とある国は毎年数百人が感電死すると聞く) チェックイン早々温ーいシャワー

を浴び 1人土地勘を養おうとブラブラ街に繰り出していた ギルギッドを闊歩

している人達はどこかノンビリしているように見え 女性の姿もチラホラ

見るのだった ノンビリ歩いている男達は大男には今までのパキスタンと

変わりないのだがラホールやピンディーで見てきた大男達よりスリムで

顔つきも更にヨーロッパっぽいグラデーションがかかっている 聞けば

昔々 アレクサンドロス3世の遠征軍達の血が滲んでいったらしい 

こってりトンコツスープにトマトの酸味がほのかに感じる といった顔つきだ

 ギルギッドの街は判りやすい ラワールピンディーから我々を運んできて

フンザ地方へ伸びていく1本のメイン通りが街の幅を利かせ その道に

付かず離れずギルギッド川が流れている 街の雰囲気とは裏腹に中々の

激流であった フンザ地方に降った雪解け水を運んでるのだろうか

メイン通りから横に伸びる路はあるものの そこまで旅人の心をとらえて

離さないような物や店などあまりなく 何かカメラに収める被写体を期待して

ブラブラする以外自分には必要としなかった 衣食住はメイン通りで事が

足りてしまう そんな街だ しかし 山に囲まれて自然と心が穏やかに

なっている ラホールで人をあまり信用しなく出来た心のササクレが

治っていく様であった そんな気分良くメイン通りをブラブラしているときだった

現在地を確認しようと地図を広げていたら 1人の毛むくじゃらの大男が 

近寄ってくる 巻き舌の英語で ”ドコニイクノ?”と聞いてくるので

”ただ 現在地を確認していたまでさ ありがとう!”というような英語力

を持ち合わせていなく ” BUS STATION” と とっさにさっき来たところを

言うと ”O.K” とムンズと我が手を握り 今来た道へとひっはり歩き

はじめた 毛むくじゃらの大男の人差し指を北に放物線の弧を描けば事が

済むのだろうが そこまで案内するらしい シットリ湿った我が手をでっかい

毛むくじゃらの手が包む  この毛むくじゃらの大男は弱弱しく見えるこの旅人

のために親切をしているのだった

お互い大の大人なのだが身長差があり 『赤い靴』の女の子の心境だ

♪いーじんさんに つーれられーて♪ バスステーションを目指す

どこから来たのか これから何処へ行くのかこの手の質問は

今までよくされてきたのでスンナリ英語で答えれるのだったが 

矢継ぎ早に質問をしてくるので それ以降聞き取れない 巻き舌の英語

のせいにして遠くの景色へ曖昧な笑顔をおくっていた

”早く バスステーション見えて来い” 心のシャウトが山々に木霊しそうな

時 パっと 手が離れた 毛むくじゃらの手の先にさっきのバスステーション、、、

、、、、、、、

”シュークリア!”(ありがとう)と いって手を振ると 毛むくじゃらの大男は

左手を心臓のところに手を当てながら ゆっくり右手を挙げるのだった

心にグッと来るサヨナラの仕方だった 聞けば ここら辺りの習慣らしい

暫く 真似をしたものだった

 旅のオマメ

 座りション…..インド辺りは男も座ってオシッコをする 立ってする者もいる

 カーマスートラ….愛の経典 指南書

 風の谷のナウシカ…..フンザの景色はこの漫画(映画も)似ている 旅人の噂で 宮崎駿氏がフンザを訪れて 村のイメージソースになったといわれている 

 アレクサンドロス3世….アレキサンダー大王 東方遠征で今のアフガニスタン あたりまで帝国を築く

 赤い靴……童話 5番まである 歌詞2番 ♪横浜の波戸場(埠頭)から汽船~♪ の為山下公園には女の子の銅像がある 

2011-08-13 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ギルギット1 ギルギットへ

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 コースターはつづら折に身体を左右に揺らしながら北へと進路をとっていた

体調も回復し昼過ぎに出発したコースターは我々4人一行を乗せて次の街

ギルギットを目指している コースターとはハイエース的な乗り物で 

我々4人の他はパキスタンの大男 老若男達とで肩をすぼめる様に

寄せ合っている パキスタンの大男達は日本人に比べかなりでかい

肩を寄せ合ってマジマジ見る手がすこぶるデカく 膝を折っている膝小僧が

自分の倍近く高い

 小刻みに揺れる車内になんともいえない香ばしく湿ったほのか、、というより

多少キツイかほりが山吹色の点線でアラベスク模様を描き我が鼻腔の神経

を不愉快に刺激する 眉根を寄せながらもアラベスク模様を嗅ぎ取っていき

首を後ろに向けると1人のオッサンが靴を脱いでいた オッサンの靴下

が濃い山吹色のスモッグで霞んでいる様に見える

箱根の大涌谷に噴出する硫黄を想像する、、、

コースターがかっ飛ばす路は徐々に細くなり車窓から見える景色は緑が

段々近くなる いい風景 しかし臭い

『目に青葉 山吹色の 車中かな』    りょじん

 それでも暫くすると匂いにも慣れボーっとコースターの揺れに身を任せている

時だった 突然 ”パン” と乾いた音が我が鼓膜をつんざく すると同時に

パキスタンの大男達は一斉に身を窮屈そうに屈ませるのだった 自分はというと

ポカンとその光景をただキョロキョロ見回すのだった 車窓から数人の子供達が

岩の上で笑っている姿をとらえ通り過ぎて行く どうやら 身を屈めた大男達は

銃声と思い 岩の上のガキ達は火薬でイタズラをしたのだった

安堵した大男達の真剣な姿を見て 改めて(初めて)ここは山賊が出るルート

なのだと実感する 実際ここら辺は山賊が出没して誰彼かまわず襲うらしい

と聞いていた やばい所に来た、、と全身にネットリとした汗が浮びだす

我々4人は ”これはやばいかも、、”お互いの顔を見合わせる

なんとも緊張した面持ちで時間が過ぎていくと 陽が山に落ちていく

陽が落ちると車窓の向こうの山の稜線が濃く浮かび上がり 空は陽の

名残なのか夜はまだ薄い すると 路肩の無い路の真ん中でコースターが

急に停車する 一瞬 ”山賊!?” と再びネットリした汗が浮き出す

大男達がドカドカ降りていく サラート(礼拝)の時間だった 礼拝を見るのは

これが初めてではないが ”こんな時にもするのだな、、、”と思う

”イスラムは生活の中を支配している”とも思った ”礼拝している向こうに

メッカがあるのだな、、”ともボンヤリ思っていた

真剣と好奇心との間を埋める大義名分が浮ばなく 礼拝の姿をカメラに収める

事が出来ず 又まじまじ見ているのも憚れる思いがしたのでその辺をウロウロ

する 山の中だけあってエンジンを切ると人工的な雑音が無い中 川の流れる

音がする 木々を抜けると 川が路を平行に流れている 聞けばインダス川

だという 川べりに立って遥か昔我がボウズ頭が目にしっくりしていない頃歴史

で習ったインダス文明とリンクする 太古に栄えた文明の上流にいるのだと

思うと さして大きくも無い目の前の川の世界観が遺跡のように広がるのだった

残照のせいなのか月明かりのせいなのか夜のとばりが降り始めてきても

空は蒼い 川は灰色に青のフィルターをかけたようだった 

青の静寂に包まれたなんともいえない時だった

 礼拝が終わりコースターは再び北を目指す すると更に木々に覆われ

路は狭くなり山を縫っていく ヘッドライトはもう遠くを照らさない 山の奥行き

を感じる 

 どのくらいたった頃だろうか再びコースターが止まると 晩メシのようだった

ここが村の中のメシ屋なのか峠の一軒メシ屋なのか真っ暗な為わからない

屋外で食べるようでコースターのヘッドライトとメシ屋のランプの灯りで

ボンヤリ見える縄で編んだベッドに腰掛けメシを頬張る 

縄のベッドに寝転んで夜空を仰ぎ見る 

周りの山が深く 夜が濃く 星が近く 日本が遠い 自分が小さく思う

 旅のオマメ

 箱根の大涌谷….観光用に硫黄や噴煙を見ることができる ここの地熱で作られた玉子 『黒玉子』が有名 1個食べると寿命が7年延びると観光客に人気

 山賊….金品を持っていくだけだが時に命もとる と聞いていた 過激派の残党兵やらと聞く

 サラート(礼拝)…..1日5回 暁 正午 午後 日没直後 就寝前メッカに向いて行なう 街中にいるとアザーン(礼拝の呼びかけ)が鳴り 行う

 メッカ….サウジアラジアの都市 イスラム最大の聖地 預言者ムハンマドの生誕地 イスラム教徒なら一生に1度は巡礼する場所

 

2011-06-04 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ラワールピンディ3 残念な日

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 我々4人一行はラグメンに舌鼓をBeat it したあと旅人の情報を頼りにたどり

着く先は『ソフトクリーム屋』 っと言っても軒下というより路上にマシーンが

1つあるだけでご近所の子供達用であることは容易に想像できていた

 ただ ”パキスタンでソフトクリーム”という上から目線のドレドレ感とただ単純

に我々4人はソフトクリームが大好きであったので嬉々として注文する

小さめのコーンにツイストされるソフトクリームも小ぶりなフォルムだ

味は喉をスルっとスルーしていくサッパリタイプ 本当にパキスタンの

ソフトクリームのクオリティーは高いとみた(自己判断)

”うまー!うまー!”と連呼する我々4人一行にソフトのオッサンが

”チョコ かけるか?”と聞いてくる 1ルピー(確か、、)追加料金がかかる

という チョコは普段口にしない自分だったがパキスタンでチョコという

上から目線のドラドラ感とただ皆が注文するのでそれに乗っかった訳だ

ソフトの頂にドロリとチョコをかけてもらい再び嬉々とねぶっていると

シズカちゃん(モモレンジャー)が ”これ チョコじゃないね!”とクールに

ジャッジ どうやら チョコと思ってねぶっていたものは 黒砂糖をどうにか

こうにかしたものらしい、、、とのことだった スイーツの観念が希薄にしても

我バカ舌を不憫に思う シズカちゃん(モモレンジャー)は日本に帰れば

パティシエであった だからスイーツに関してうるさい(らしい) 物知りの

ヒゲのイトウさんは『パティシエ』という言葉をこのとき初めて知ったそうな、、

まぁそれでもソフトクリームは旨いに変わりはない我バカ舌のジャッジだった

 ブラブラ街を徘徊しているとけたたましいモーター音と共に走り去る車1台

ウルトラ警備隊も真っ青のデコラティヴなアウトライン 人を蹴散らせ排気ガス

を撒き散らすアウトレイジなドライブテク ”スズキ”だ スズキとは日本車

SUZUKIの軽トラックの荷台に幌をつけた乗り合いの車で日本の車検では

通らないくらい改造して日本の法律ではまかり通らないほど人を乗せる

パキスタンではお馴染みの車だ スズキの噂はかねがねパキスタン帰りの

旅人から聞いていた (なぜかラホールでは走っていなかった) メガネの

ナガイさんがすかさずスズキを被写体に興奮しご満悦であった

 ラグメンにソフトクリームというご当地グルメを堪能し子供の頃夢中になった

スーパーカー並みなテンションでスズキを見ていた、、、このときまでは本当に

愉しい日々だった

 その時は勿論何の前触れも無く突然やってきた

宿に戻り床に就いた丑三つ時(たぶん)猛烈な腹痛と吐き気が襲ってきた

毛むくじゃらの大男が襲ってくるよりはましだったが 下痢と嘔吐が同時に

襲うというのも中々厳しい、、、全身の穴という穴がユルユルになる感じだった

パキスタン式トイレ(和式)にしゃがみ顔を埋めると思わず前転しそうになる程だ

”ついに自分もこういう日がきたか、、”と涙と鼻水も垂らしながら思っていた

暫くトイレとベッドの往復を繰り返すと 胃の中の物が一通り搾り出され

あとは下から絞り出てくるだけになった 必死に何が原因でこうなったか

頭を絞っても何も出てこない 証拠に同じ部屋のメガネのナガイさんは

グースカ寝ているのだった 更にトイレとベッドの往復を繰り返し やっと

小康状態になった頃にはすっかり夜が明けた頃だった 別の部屋の

ヒゲのイトウさんやモモレンジャーの体調はすこぶる良いようだった

結局なにが体調不良の原因か容疑者を割り出せないまま迷宮入りとなって

しまった 1日ベッドに横になって天井を見ていると 旅に出て初めて病気

らしい病気に一気に旅のテンションがあらぬ方向に向きを変え我が額に

ブルーの縦線ば数本入る 旅日記を読み返し今までの旅を思い出す

旅に出てしょっぱなからテンパッたこと マッサージ屋のオバちゃんに

お粥を奢ってもらった事 サトシとの日々 アンソニーの子供の事 ガンガー

に流れゆく死体 ダライラマとの謁見 パキスタンの男だらけの喧騒、、、、

弱気とセンチメンタルが混同するなかただベッドに横になっているだけだった

 そして辛かったのはフンザに行く為ギルギットという街までのコースター

を予約していたのだったが一行3人がキャンセルしてくれた

何も無いラワールピンディの逗留する申し訳無い思いで旅のテンションの

ベクトルがさらにあらぬ方向に距離が増すのだった

 旅のオマメ

 

                           PHOTO      ヒゲのイトウさん

パキスタンのパブリックバス 手前のオッチャンはシャルワールカミースを着ている

2011-05-23 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

パキスタン ラワールピンディ2 ご当地グルメ

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 キレンジャーが去り我一行はゴレンジャーから藤子F不二雄のアニメみたいな

編成となって宿にチェックイン この宿は日本人バックパッカー御用達の宿でも

あるので情報ノートがあり この情報を頼りに来た(ナガイさんプレゼン)

のもあるが 駅から近かったってのもある

 ラワールピンディは歴史的建造物が無くこれといって見所のない街らしい

我4人一行もフンザに向かう中継地点として寄ったのだが 我々にはここでの

お楽しみがあった 『ご当地グルメ』 だ ここでいうご当地グルメとは 

”その土地に昔からある食べ物やとある店が開発あるいは発祥して住民に

定着したメシ ”でもあるが 他に ”この土地でこんなものが喰える”という

味の良し悪しは二の次で旅のネタの食指をねぶるメシの事でもある 

勿論旨いに越したことは無いが不味いなりに旅のネタとしては美味しいものに

なるので一部の旅人はこぞってご当地グルメ詣に足を運んだものだった

 ここラワールピンディでの『ご当地グルメ』はラグメン ラグメンとは中国新疆

ウイグル自治区から中央アジア一帯で広く食べられている(ラグマンとも言う)

ちなみにラグメンはパキスタンではあまり食べることができないが ここ

ラワールピンディは中国との商業的ルートでもあるためウイグル料理を出す店

があった よく街を見渡すと オッチャンの引いているリヤカーにはでっかい

チェックの袋や店の軒下に積まれているダンボールには角ばった中国の漢字

が書かれていた 我々4人一行は足並みをそろえ SHINJAN BEST FOOD

という店の門をくぐる 薄暗い店内にこれまた薄暗い店員がオーダーを取りに

来る ”4 ラグメン!”力強くオーダーし薄暗い店員が無言で踵を返していく

ジャスミンティーがあり飲み放題だ ジャスミンティーなんてどれぐらい振りで

あろう 入浴剤を思わせたお茶(個人感想)に違和感を覚えゴクゴク飲めた

記憶が無いがここではゴクゴク頂く 旅のテンションは味覚のベクトルを変える

旅行先の朝食と似ている テーブルには 象牙色の箸がある 見るからに

あきらかに太い 久しぶりがヘルプして箸を持ち虚空をはさむ 日本人にとって

太く どちらが箸先か判らないこの象牙色の箸を不思議に思う 箸さばきを

ウォーミングアップしながら改めて日本の箸の素晴しさを実感する

 そうこうしてラグメン到着 目の前のラグメンの皿をハンドルのように持ち

ためつすがめつ眺めながら動かし立ち上る湯気を浴びる いい匂い♥♥

スープ皿に茹で上がった白い太麺に炒めた肉野菜(マトン 赤ピーマン

玉ねぎ ニンニク トマトなど、、、たぶん)が乗っかっている スープは無し

これがラグメン 筆のような箸で麺と具を混ぜ油でコーティングされた麺を

啜る 食感はモチモチだ 腰があるかといえば そそる様な腰つきではないが

料理の腕はある といった所だ 更にワッシワッシかき混ぜラグメンに喰らい

ついていくとニンニクが効いてピリ辛だ 更に啜る啜る すると割と近くにいた

マトンの雄たけびがこのご当地グルメに舌鼓を BEAT IT !

パキスタンに入り肉といったらマトンにこの時はまだ『旨い』と感じる我が舌で

あった 皆箸並みは違えど口を揃えて ”旨い!”と言う 油やマトンに

ジャスミンティーは旨くサッパリさせてくれる 旅人や情報ノートに書かれた

通り旨いのだが 少しだけ引っ掛かる味だった マトンのカルマ地獄が

ゆっくり渦を巻き始めている時だった

 旅のオマメ

藤子F不二雄のアニメ….男3人 女1人という構成がほとんど exドラえもんは ノビタ ジャイアン スネオにシズカちゃん キテレツだったら キテレツ ブタゴリラ トンガリにミヨちゃん と言った具合  注 我男3人組は誰がノビタでもブタゴリラでもない

新疆ウイグル自治区…中国の西端にある自治区 ウイグル自治区内でも漢族の方が人口が多いと推測されている 両族間に確執あり

ウイグル料理……ウイグル族はイスラムなので豚肉は食べない 肉といったら羊だ

2011-04-30 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed