インド カーニャクマリ1 南へ

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 ドイツのロックなネーチャンは『チュース』と言ってプリーを

去っていった 宿の仲良くなったメンバーもそれぞれの旅に出て

行ってしまった 自分もそろそろプリーを出発する頃合だった

地図を広げ目的地を探す ベンガル湾沿いに来ていたので

そのまま海岸線を辿って南へ行こうと思いカーニャクマリという

街を目指す カーニャクマリ 別名コモリン岬 ここは東に

ベンガル湾 南正面にインド洋 西にアラビア海を一度に拝む

 ここはインドの人達にとって聖地のひとつでもある

 海に入るが決して海水浴では無く沐浴

 敬虔あらたかな場所 プリーで仲良くなったタカシ(日本人)と

カーニャクマリまでの道中を共にすることとなった 時に列車で

脱水状態すれすれになり 時にバスでガラス窓にしこたま打ち付け

時に路上で犬の群れに吠えられ インド最南端の土地カーニャクマリ

に着いた 宿を決めチェックイン ツインの2人部屋 なかなか広く

窓も大きく明るく気持ちがいい 屋上から海を一望できるのも

気に入った 屋上の白い床が日光を反射して眩しい

 南に来ると同じインド人でも顔つきや肌の色など微妙に変わる

 顔は北と比べコロンと丸い 鼻が北で見た鷲鼻ではなくやや低く丸い

文字までコロンと円く見える 勿論言葉も変わりタミル語 服装も

変わる 特に目を引いたのが男性が穿いていたルンギーという腰巻 

 巻きスカート風に穿きこなす 暗褐色の肌に鮮やかな色々の

ルンギーを巻いた男達が妙にかっこよく見え 真似したく早速

ルンギーを買う ピンクと紫のムラ染め 腰巻だがシーツにも

なるしシートにもなってその後活躍すること請け合いだった

 食事も変わる 今までのシルバーの皿に盛られたターリー

(大皿という意味 カリー定食)からミールスと言って皿がでっかい

バナナの葉っぱの上にカリー定食が並べられる 

 街はさほど大きくない為 ブラブラ歩いても南インドの文化の

上澄みくらいは知ることが出来た ここでしたかったこと 海から

上がる朝陽と海へと沈む夕陽を見ること 今 インド洋上に上がっている

太陽はアラビア海に沈み翌日にはベンガル湾から昇ってくる

つながった海を太陽の位置で海の名が分けられることが出来るのは

そうは無い場所だと思った

 もう少しで陽が沈むというとき 岬に行くと海に人達がワンサカの

一歩背前ぐらいの人で賑わっていた 沐浴の為だ テレビでインドの

沐浴姿を見たことがあるが たぶんそれらはガンジス河での光景

 人々は河につかり一心に何かブツブツ言いながら拝んでいた

ここカーニャクマリは海なので 人々は海につかり 夕陽を向いて

拝んでいる オレンジ色の背景に人々が沐浴するシルエットは

崇高な光景だった、、、、、、、、、がよく見ると年配の人は波に

体を持っていかれ祈りというより溺れて命乞いのようにも

見えなくも無い 男性はフンドシ風な下着やステテコ風な下着で

上半身裸というのがどうやら沐浴のオーソドックススタイル 女性は

サリーを着たまま海でユラユラしている ある女性に釘づけになった

女性は沐浴を済ませ波に持っていかれながらもフラフラ浜に上がると

髪をすこし絞るほどにサリーを少し絞るほどに車に乗り込んでいた

ビチョビチョのまま、、、、、アラビア海に沈む夕陽に黄昏るより

このビチョビチョ姿で車の中で家族(お父さん 子供2人)と談笑

している姿に心を持っていかれ唖然としていた 今ここにバスタオルが

あるのならゴシゴシしてあげたい 今すぐタオルを届けたい

 目の前を沐浴を終えたお婆さんがやはりビチョビチョのままヨロヨロ

通り過ぎていく

 なんだかモヤモヤしたやりきれない気持ちでいっぱいのまま

夕陽はアラビア海の遥か向こうに沈んでいった

旅のオマメ

 チュース…….ドイツ語でサヨナラー

 沐浴………….一般的には体の一部またはすべてを清める行為 沐浴を行うことで、罪を流し功徳を増すと信じられている

 サリー……….女性が着用する民族衣装 細長い布からなっており体を包み込むようにまとう

2010-03-27 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed