インド バラナシ4 さらばヘインズ

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

「Tシャツ」 マーロンブランド ジェームスディーンを経て下着からストリート

ファッションのマストアイテムへと番付の格が一気に上がった

 この旅日記を読んで頂いているお客さんから

『今の若い子はヘインズ≒Tシャツってことがわからないんじゃない?』

そんな 何気ない質問にポカンと 「猫だまし」を喰らったように思えた

ヘインズやフルーツといったらTシャツだと当たり前に思っていた自分は

どうやら若者達には何のことか解らないのだという、、、、

かなりのうっちゃり感であった 心に張り手を喰らった気分だった

時代は過ぎていく

”おじさん”もろだしだが これからもこのスタイルをつっぱりたいと思う

 で 我がヘインズの話

 旅に出て”旅の相棒”(荷物)が少しずつ増えていくと同時に

壊れたり 失くしたり 捨てたりしたものもあった

腰に着けていたキーホルダーは待合の椅子に引っ掛け切れてしまい

干していたトランクスは風に吹かれてどこかに行ってしまった

3桁の数字を合わせて開ける鍵はドイツ人に90秒で目の前で開けられた

のをきっかけに鎖と南京錠へと変わった、、、、、

 又 旅の相棒達はそれぞれ旅に染まっていった

真っ白だったハラマキ型の貴重品入れは無印良品ばりの”生成り色”になり

ノースフェイスの黒のバックパックはやや灰色が増し

そして我がヘインズは首周りと袖口がかなりダブついて 手洗いでは

落ちきれないナゾの染みが増えていった これまたナゾだが3枚とも

同じような状態であった、、、、

 アジアで見かけていた旅人が着こなしていた服が ”クルタパジャマ

だと知ったのはインドに来てからだった インド人はカチっと旅人はダラリと

着こなしていたかっこよかった さまざまな色のクルタ(シャツ)はテロテロして

インドの灼熱な大地にどの色も馴染んでいるように思う、、、

 外国人が漢字のTシャツを着ているのはどう思っているのだろうか?

ハルクホーガンが『一番』Tシャツを着て一気に漢字Tシャツは広がった

のだと思う(更に数年前にはロンドンで漢字ブームは既にあったと記憶します)

B.T(Before旅)漢字Tシャツを着ている外国人を見るたびに なんだか

違和感を感じていた シャンゼリゼ通りのオープンカフェの最前列で

お茶するのと同じぐらの『ユルさ』が『カユく』て『ネムく』てゆえに『イタい』

「旅に浮かれている」 そんな風にも思えて勝手に恥ずかしいと思っていた、、、

 そういった心のバックボーンがあってか「旅にうかれている」と自分で

感じるものに弱冠の抵抗を感じていた 旅のコスプレもそうだ!

なんだか異国の格好をするのがが恥ずかしい そう思っていた

が 旅を巡って行くうちにはとうとう南インドで巻きスカート風の『ルンギー』

を巻いてはしゃいでしまった、、、、

今までの冷めた頑なな心のワダカマリは呆気なく溶けていった

インドの灼熱はワダカマリも溶かす

 あれだけ眩しいくらい白かった我がヘインズは日に日に変化していく

我がヘインズは”使い古した”というより”疲労困憊”したという体(てい)だった

手洗いして干していてもユラユラした黄土色のオーラが ヘインズ自身から

漂っているように見えて仕方が無い クルタパジャマの想いが募っていく

インドの灼熱は心も焦がす

ただ我がヘインズの袖を通したのは成田へ出発の朝が最初だった

他の2枚はバンコクが最初だった なんだかゲンを担ぐように捨てられずにいた

 ガンガーに色々な物と想いが流れ過ぎて行くのを見て 我がヘインズも

ガンガーに流してみようと思いたった

 何気なく捨てるより 訳あってガンガーに流したほうがこれまでの旅の

償いを浄化し これからの旅の無事が約束されるように感じたのだ

 3枚中今着ているヘインズを残しガンガーに流す

 ゴミを捨ててると思われるのもシャクだったし はばかる思いもあったので

人けの無い場所まで足を運ぶ ヘインズを丸めて大きく振りかぶって

オーバースロー『えぇっ』 手首にしていた菩提樹の実の数珠も一緒に

放物線を描いてガンガーの水面を大小揺らす 数珠は沈み 

ヘインズはゆっくり流れていく、、、 暫く目でヘインズの行方を追っていた

このヘインズは親父のタンスから引っ張りだしてきたものだった 

お守りのように感じていたのも実はあった

 少し寂しい、、、、、が 足は既にクルタパジャマ屋に向かっていた

さんざん迷い悩み買ったのは赤1枚グレー1枚の2枚のクルタ(1枚60Rs シャツ)

パジャマは黒の2本(1本40Rs ズボン) さんざん値切ったのを試みたのは

さんざんだった インドに来て1番の買い物だったがお気に入りとなった

 このクルタパジャマは以後帰国して農業時代まで共にすることとなる

最後は”朽ちた”といった体(てい)で燃えるゴミとなり火葬された

 旅のオマメ

 ノースフェイス……..アメリカのアウトドアブランド  

フルーツ……「フルーツ オブ ザ ルーム」というアメリカの衣料ブランド ルームはloomと書き『織機』という意味らしい

 ハルクホーガン….アメリカで最も成功したレスラーの1人 日本では「アックスボンバー」で大ブレイク アメリカで ICHIBAN はNO.1の意味で通じる

 クルタパジャマ……インドの男性用国民服 クルタは上着 パジャマはズボン

 農場時代…….帰国後1年半富士山の麓で農業してました

2010-06-03 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed