パキスタン フンザ2 旅の進級

皆様 お久しぶりでございます HPが新しくなり これを機会にバンバン書こうと思う次第です、、、

 

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 

フンザの村をのんびりブラブラしながら思っていた ここは旅人から聞いていた

以上にガイドブックで読んだ以上に自分の旅情を心地よくくすぐってくれる

たとえば村にいるだけで心が強くなれること、、、ではなくてパート2

村にいるだけで顔が心が穏やかになる

パキスタン北部であるこの地方は東にヒマラヤ山脈 西にヒンズークシの山々

北にパミール高原の広がる山岳地帯 インダス川の大河の一滴はここから始まる

宿は建築中(’99 5月当時)であったが部屋はできていた為そこに腰を落ち着かせ

山の斜面にできたこの村をゆっくり登っていけば心は静かに興奮して落ち着かない

バルチットフォートという藩王が住んでいた宮殿が見れるが 人の手が加わった

ものより自然の手が作り上げたそのものや何気ない物に目がいく

通称レディーフィンガーと呼ばれる岩山が村の山の向こうで天を指している

本当に女性(推定30~35才 独身 メガネ 黒のタイトスカート)が

ピンと人差し指を立てているみたいだ 水路のミネラルたっぷしそうな

雪解け水が周りの緑を濃くして 木々でおおわれた路は強い紫外線をさえぎり

木漏れ日となってやさしく降り注ぐ その木漏れ日の向こうに見える家々の

屋上はオレンジ色 近づくとアンズが干されていた

通り過ぎる村の男達は角の丸まった帽子をかぶり

女性達はヒラヒラしたカラフルな衣装に我が目を打つ

                                     (写真 伊藤さん)

本当に風の谷の村みたいだと思っていた(ナウシカ1回しか

見たことないけど、、パート2)

今までの旅で日本円に直せば10~50円ごときにムキになり

心の棘が多くなり同時に心のササクレがめくれ眉頭に深く刻まれた縦皺が

ここでは心の棘は根元からポキポキ折られ びろびろササクレは

花の開花を逆回転したかのように閉じていき 縦皺はみるみる平らに

馴らされ目が広がり見るものすべてが素敵に見えてしまう

旅人の心当たりがいい 急に健康的になる

スパイスと埃が混じる雑踏の街の中や地平線広がる灼熱の高原

安宿に寝転ぶと壁を伝う大きなヤモリ 上目遣いにさまよう野良犬

ゆっくり行きかう人達とネオンをボンヤリ映す夜の繁華街の水溜りや

朝靄の川から昇る日の出とともに川に身を沈める人々

わざとがっしりとした腕を見せながら歩く僧侶やファインダーから覗くと

急に固まる子供たち

今まで見てきたスッピンなアジアの風景を見てきたがここは素肌感が

ある風景だ どうも毛穴シミやシワについつい目がいく というより

静脈がうっすら透けて見えるような ソバカスが1枚肌の下から見えるような

、、、そんな感じだ そう思ってしまうのは 風の谷の舞台(といわれる)

というジブリのオーガニック的なイメージがそうさせているのを

差し引いても今までにない透明感があるのだ

ふとここまできて旅の偏差値が上がった気がしていた 東南アジアやインド

はバックパッカーにとって義務教育的要素があったがパキスタン北部まで来ると

1つ旅のキャリアが上がった気がする こんなとこまで来たもんだ、、

と心地よく酩酊していた

そんなフンザのある夜ハイダーイという日本人(が多くいる)宿に

晩飯を4人で食べに行くと 旅のツワモノ達が1つしかない食卓を囲んでいた

大皿に盛られた料理を個々取っていく 徐々に無くなっていく皿の中身を

ハラハラしながらも自分の取り分をすばやく計算する 高校時代の

バイト初日の賄い飯を思い出す やはりここまで来ている旅人達なのだから

大陸横断組や世界をブラブラしている人達がほとんどで 舌鼓を打ちながらも

耳はピンとそばだてていた 旅人達の会話はファンタジスタだ

お互い今日の出来事から なんてことない会話から ”そういえば~的に” 物凄い

旅話をお互い畳み掛け披露してくれる

プロ麻雀士達の卓に間違って座ってしまった心境だ、、、

それでもガチャピンみたいな肌の色のデザートが出るころには旅の猛者達と

すこしは打ち解けてフンザの細かい処を教わりさらにフンザに興奮していた

宿に戻りベッドに横たわって夜のしじまの中いつまでも此処にこれてよかった

と思っていた

 旅のオマメ

宿は建築中…….目当ての宿が(ハイダーイン)がいっぱいだった為ハイダーさんから紹介された宿 建築中で所々コンクリートや骨組みがむき出しだったが部屋はとても広く綺麗 布団カバーに金糸などされていて風の谷の人達が刺繍したのか、、と かってに妄想していた

バルチットフォート…..バルチットの丘に建っている宮殿 フンザは1974年までミールと呼ばれる藩王が支配する独立国であった バルチットフォートは代々この土地を治めるミールが住んでいた 築600年以上 石と木と漆喰を使用 現ユネスコが修繕したが2005年におきた大地震でどうなったかは 確認とれず

ハイダーインという宿に晩飯……ハイダーさんがやっている宿 晩飯40ルピー(115円 ’99年当時)1つの長テーブルを囲んでの食事 合宿みたいなだった

デザート….カスタードといっていた ガチャピンとかシュレックみたいな色だが日によってピンクのときもあった ババロアをゆるーくした食感 ゆるさも日にまちまち

 

 

 

 

2012-03-21 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed