インド ダージリン3 紅茶のおいしいダージリン

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 Himaraya View Guest House と書いてある看板の a と Vの間に

not と小さく落書きし 坂を下り街へ繰り出す 相変わらずダージリンの若者は

我がスニーカーに熱視線を飛ばす中スニーカーが向かう先は”チャイ屋”ではなく

紅茶(ミルク無し)をだす店だ あまりの暇に飲んでみようと思い直したのだ

 我が鼻にまかせ坂を下っていくと街のはずれにお茶の段々畑が見えてくる

 その近くの店(バラック)に入り『One Tea!』とチャイではないよ、、!

みたいな意思表示(オーダー)して紅茶を待っていた

 思えば”クソ”が付くぐらいの暑さなのに グラグラ煮立たせたスパイス入り

の甘いミルクティーに不思議とインドのの暑さに一服の清涼感をもらった気が

してすっかり甘ーいチャイに慣れていた 静々やってきたのは紅茶の割りに

紅くないな、、、思いながらズズっと啜る紅茶は香りのある飲み物だった

 ここ最近の味先行型のインパクトに香り先行型のワビサビの

ネコパンチに思わずカップを持つ小指が立つ(ウソ)

 なんだか 味が遠い、、、、すっかり味の近眼になっていた自分の

味覚のピントを微調整してくれる 旨い!、、、、、、、、きっと!!

 本当にいい茶葉は世界へと輸出すると言うがそれでもダージリンという

土地がそうさせるのか この澄んだ空気がそうさせるのか それでも

いい香りのする飲み物だった ナナハンライダー(750ライダー)

早川 光君が ”ピットイン” でお茶を飲むシーンを自分にあてて

夢想する(判る人だけでいいです) 時間がゆっくり流れいているつもり

なのだが飲みはじめて10分もたつとどう過ごしていいか分からない

ここで委員長がいてくれたらいいのにと思う(判る人だけでいいです)

 どうも柏原よしえ(芳江)にチューニングをあわせたら小学校の記憶が

時々出てきて困る 結局優雅なTea Timeをどうすることも出来ず店を出る

値段が路上で飲むチャイの5倍以上したのにビックリしたまま街を

ブラブラしただろうが この街のデータは申し訳ないがもう無い

 どこをどう過ごしたか夜になり宿に戻ってくると同じドミトリーに

日本人の大学生3人が仲間入りしていた その中の1人が早稲田の

学生でこの春(’99)ファンの広末涼子が入学してくることをひたすらに喜んで

話題の軸が夢中なアイドルの話で盛り上がる 柏原よしえ(芳江)の

ファンだったことは公表せず(判ってくれそうもなかったので、、) ただただ

ギャップを感じながらこんな話で盛り上がるなんて何年ぶりだろうと 

うすら寒いドミトリーに ほんのり暖かくなって長い夜を過ごした

 数日をダージリンで過ごしてもヒマラヤは一向に拝むことは 

出来なかったがそろそろこの街を出ようと思い 宿の看板の

not  に×をつけ小さくsometime と書き直して宿を出る

 宿で一緒だった学生さんが見送りついでに家族や友人に大量の

紅茶を買い込んでいた 自分はいったい いつ皆にお土産を持って帰るのか

見当もつかない、、、そう思い見送る学生に背を向けダージリンをジープは

暴虐な運転一歩手前的なドライビングテクでかっとんで行った

 旅のオマメ

ナナハンライダー(750ライダー)……..石井いさみ作 少年チャンピオンに1975~’85まで連載 学園青春マンガ 委員長のファンでした

2010-02-27 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed