インド ダラムサラ 1 ダラムサラへ

PCを打つのが苦手です いつも長い文章のクレームにもめげず 打っているのですが 未だに遅いです 調子こいてウッカリもあって 気づくと 宇宙あたりか古代からのメッセージのようになっています、、、、、なのでPCを打つのがチョイチョイしんどくなってました、、、、 オッチャンのツイート

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 で インドに来た理由は ”バックパッカーならインドをとりあえず目指す”

というかなんとなく周りがそうしてきている様な気がして 自分的には

肝試し的に来たこともあるが 大陸横断ってのもある

 で 実はインドに来たのなら是非お会いしたい(遠くからでもお目にかかり

たい)という人物がいた

 ダライラマ14世だ お会いしたい と思っていながらダライラマ14世は

いったい何処に居るのか 皆目検討がつかないでいた

 バンコク~インド上空で知り合ったサラサラヘアーのあんちゃん(インド

 カルカッタ1参照)が 『ダライラマならダラムシャーラーですよ』 と

東急ハンズのスタッフのように なんの迷いも無くサラリ言った

ミャンマー上空(たぶん)でダライラマ14世はダラムシャーラーに居る!

という思いがけない収穫は インドの地を踏んでから 心はダラムシャーラー

を”心のよりどころ”として崇めていた ただ『では早速』とダラムシャーラーに

向かうのはあまりにもカジュアルすぎていると思い 心技体をフォーマルに

するため 今まで様々なインドで 汗や涙を乾いた大地に染み込ませてきた

インドのお調子者にもちょっとのことでは腹を立てなくなり 牛のウンコを

踏んでも動じることもなくなり 右手の食事も道にいったものになってきた

と思う(個人感想) 移動のチケットもスンナリ買えるようになり  

ワラワラ寄って来るリキシャワーラーやお土産売りの小僧たちにも

惑わされず サラリかわす事が出来るようになった

 サンダルは磨り減り クルタパジャマはいい感じにテロテロ具合をまし

 我がヘインズは もはや ヘインズでした という過去形までなっていた

 とある対策として伸ばしたヒゲはじょじょに範囲を広げ一定の面積をようする

ようになり 我がクセ毛とメラニン色素はインド人とドッコイと思わせた(他人感想)

 そろそろ 頃合だと思った

 デリーの旅行会社のオッサンにダラムサラ(どうもダラムシャーラーという

発音が馴染めず 欧米人が発音するダラムサラと言っていた)行きの

バスチケットを手配し 翌日集合時間に旅行会社に行く

 インドに来て思ったのだがインド人の男性はご陽気者が多い

(ことカーストが下になればなるほど多いと思う 個人感想)

が ’99年当時笑顔で接客という感覚が(あまり)無い 他人に見せる

笑顔には価値があるわけでもなく 又付加価値としての意義も無い様に

思えた インドでは接客という骨格を限り無く削ぎ落とした というギリッギリ

のところを人に突いてくる 日本人ならグサリ心に突き刺さったり 血の沸点

が一気に下がる者もいるのだろう が ここはインド インドに習えばいいのだ

(1ヶ月もするとニコニコサービスが胡散臭くなっていた) が そう頭では

理解しているつもりなのだが 宿のあんちゃんがテレビだけを見ながら鍵

を渡すの受け取る自分がアタフタしたり 雑貨屋で買い物をしてお釣りを

ホイっと放り投げられ50パイサ玉や1ルピー玉を1つづつ拾う 自分に

やるせなさと刹那さを時にヒシヒシと感じていた 

 ここでも旅行会社のオッサンはエラソーに大きく手で ”ついて来い”風の

ジェスチャーでノッシノッシ先を歩き出した オッサンの後ろをペタペタ着いて

行くのを 昔(ほんの2-3ヶ月前)はこんなことにもよく腹を立てていた と

人の往来の激しい道を対向者とぶつかりながら諦観の思いで丸い背中を

追っていた ペタペタついて行った先は今度は車の往来が激しい所だった

”ここで待て”と巻き舌の英語でオッサンは言う オッサンはバスが来るのを

ムっとしながら(そういう風に見える)眼光鋭く(そういう風に見える)道路の

先を見ていた クラクションのけたたましいデリーの上空はターコイズブルー

とピンクとオレンジの夕方であった オレンジ色の夕陽を浴び目を細めながら

黄昏ていると欧米系のバックパッカー達がワラワラ集まりだしていた 

ふいに オッサンが探すように自分を見つけ あごを上げ ”バスが来た”

風のサインをくれる バスが止まり ”乗れ”風に手で促して ”じゃあ”と

手を振っていた 後ろからワラワラと先ほどの欧米系のパッカー達も

乗り込み着席する間も無くバスは再び走り出す 座席番号を確認し

辺りを見渡すとバスはガラガラであった インドに来て今まで

”肩身の狭い”体験をしてきた このバスは自分の隣には乗っていない

という 肘まで伸ばせる 快適空間であった のも 束の間

リクライニングがあまりきかず カッチカチのシートに揺られるこのバスは

14時間というここでもインドのカルマを背負うこととなる  

 旅のオマメ

 ダライラマ……チベット仏教において最上位に位置する活仏 如来 菩薩の化身の名称 チベットの国主として 又 チベット亡命政府の元首でもある 輪廻転生を信じているので ダライラマは亡くなると予言の地に転生するとされる 今(2010)現在14代目 14世は中国からの亡命してきた ’89年ノーベル平和賞受賞

 東急ハンズ…..メチャメチャ品数が多いホームセンターというかデパート

 とある対策で伸ばしたヒゲ…ゲイやホモと間違われない為 のちに役立つ

 カースト……今の社会から無くなった といっているが 職業カーストなるものが今だある そのため成り上がり精神が無い ところがここ最近では職業カーストの中にパソコン系のものが無かった為 そこそこ頭のいい人は頑張ってこの業界に入れたプチリッチがいる

 50パイサ…..1ルピーの2分の1

 カルマ……インドの言葉で、「行い」「行為」「作業」「用事」というありふれた意味の日常の言葉 因果応報っぽい解釈でいいと思います        

 

2010-09-13 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed