パキスタン ギルギッド2 習慣の違い

 皆様 残暑見舞い申しあげます

パソコン やっぱり苦手です、、、という言い訳で旅日記をサボっていました

以後気をつけます 前回の続きです

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 『習慣』 その国やその地方の人々の間で普通に行われる物事のやり方

社会的なしきたり 慣わしetc etc,,,(yahoo辞書参照)

知らない土地へ一歩赴くと今までの自分自身の培ってきた習慣の違いに

驚いたりする 海外に出ればそれはそれは驚くのは習慣も違いというのも

多かった 今となれば(2011)驚いた記憶の大半は風景や世界遺産より

ずっと多い その家や地方又国で根付いた習慣にはそれなりの理由が

あるだろうが身体や頭に馴染んでいるのは慣れだがこの慣れてる 慣れてない

の隔たりが大きく深い激流の大河だと対岸の景色は異様にも見えるし感じる

 インド辺りではチャリンコの2人乗りはハンドルとサドルの間に人を乗せ

運転手がハグする様な形で視界を遮られながらフラフラ漕いで行くのをよく見た

これがいつも男同士で甘酸っぱさはまるで無く苦酸っぱそうな光景に

見えたものだった インド、パキスタン辺りでは結婚前の男女が仲良くしている

のを見ることがなかった(1999当時)が同性同士ベタベタ仲良くしている

インドに着いて早々大の男が道端で座りションをしていて おや?と思うのも

束の間 大の男同士で手を繋いで歩いているのを見てさすがカーマスートラ

の国と思い これだけ人口が多ければ其方の組合の方々も多いのだな と

激流を渡った対岸の景色を見て心とケツが引き締まる思いをしたものだったが

聞けば インド辺り(パキスタン ネパールなど)男同士手を繋ぐのは習慣なの

だという 国が変われば大幅に習慣の違いがあるのだな、、、

と対岸の景色を傍観していた、、、、

、、、そして今(1999初夏) パキスタンの大男と手を繋いでギルギッドの

メイン通りをテクテク歩いている、、、、、、、、 

 山賊に襲われることも無く無事にギルギッドに着いた ラワールピンディーを

出発して15時間の旅だった この街はケイコさんという日本人がやっている宿

(ツーリストコテージ)があり日本人バックパッカーの交流の場(たまり場)と

なっているという 漫画『風の谷のナウシカ』が全巻そろっており フンザに行く

旅人にテンションを揚げ ケイコさんが振舞ってくれる日本食(親子丼など)

でまだまだ旅を続ける旅人のコンセントレーションを整えてくれる、、、、

のだと思う これだけの旅人達のプレゼンがありながら我々4人一行は

この宿に泊まらなかった フンザに行くのだけれどナウシカに興味を

持っていなく 又 日本食に餓えているわけでもないのだったが1番の理由は

バスターミナル(現在地)から遠かったからだ そんな訳でバスターミナルの

近くの宿にチェックイン 掘っ立て小屋を少ーしクオリティーを高くした感じの宿

(個人感想) ドミトリーの部屋だ(男女別)

 澄んだ青空と庭の緑が眩しいせいで部屋の中は暗くてよく見えない

 各々直感でベッドを選び 各々荷物を出す

 ギルギッドは山間部なのでシャワーは時間制ではあるがホットシャワー

(極めて温め)が出る 旅をしていると安宿のホットシャワーは太陽熱を利用

したり電気を利用したりしたものがほとんどで 太陽熱はソーラーパネルが

小さい為限り無く温く 電気は極たまーに水に漏れ感電するのだった 

(とある国は毎年数百人が感電死すると聞く) チェックイン早々温ーいシャワー

を浴び 1人土地勘を養おうとブラブラ街に繰り出していた ギルギッドを闊歩

している人達はどこかノンビリしているように見え 女性の姿もチラホラ

見るのだった ノンビリ歩いている男達は大男には今までのパキスタンと

変わりないのだがラホールやピンディーで見てきた大男達よりスリムで

顔つきも更にヨーロッパっぽいグラデーションがかかっている 聞けば

昔々 アレクサンドロス3世の遠征軍達の血が滲んでいったらしい 

こってりトンコツスープにトマトの酸味がほのかに感じる といった顔つきだ

 ギルギッドの街は判りやすい ラワールピンディーから我々を運んできて

フンザ地方へ伸びていく1本のメイン通りが街の幅を利かせ その道に

付かず離れずギルギッド川が流れている 街の雰囲気とは裏腹に中々の

激流であった フンザ地方に降った雪解け水を運んでるのだろうか

メイン通りから横に伸びる路はあるものの そこまで旅人の心をとらえて

離さないような物や店などあまりなく 何かカメラに収める被写体を期待して

ブラブラする以外自分には必要としなかった 衣食住はメイン通りで事が

足りてしまう そんな街だ しかし 山に囲まれて自然と心が穏やかに

なっている ラホールで人をあまり信用しなく出来た心のササクレが

治っていく様であった そんな気分良くメイン通りをブラブラしているときだった

現在地を確認しようと地図を広げていたら 1人の毛むくじゃらの大男が 

近寄ってくる 巻き舌の英語で ”ドコニイクノ?”と聞いてくるので

”ただ 現在地を確認していたまでさ ありがとう!”というような英語力

を持ち合わせていなく ” BUS STATION” と とっさにさっき来たところを

言うと ”O.K” とムンズと我が手を握り 今来た道へとひっはり歩き

はじめた 毛むくじゃらの大男の人差し指を北に放物線の弧を描けば事が

済むのだろうが そこまで案内するらしい シットリ湿った我が手をでっかい

毛むくじゃらの手が包む  この毛むくじゃらの大男は弱弱しく見えるこの旅人

のために親切をしているのだった

お互い大の大人なのだが身長差があり 『赤い靴』の女の子の心境だ

♪いーじんさんに つーれられーて♪ バスステーションを目指す

どこから来たのか これから何処へ行くのかこの手の質問は

今までよくされてきたのでスンナリ英語で答えれるのだったが 

矢継ぎ早に質問をしてくるので それ以降聞き取れない 巻き舌の英語

のせいにして遠くの景色へ曖昧な笑顔をおくっていた

”早く バスステーション見えて来い” 心のシャウトが山々に木霊しそうな

時 パっと 手が離れた 毛むくじゃらの手の先にさっきのバスステーション、、、

、、、、、、、

”シュークリア!”(ありがとう)と いって手を振ると 毛むくじゃらの大男は

左手を心臓のところに手を当てながら ゆっくり右手を挙げるのだった

心にグッと来るサヨナラの仕方だった 聞けば ここら辺りの習慣らしい

暫く 真似をしたものだった

 旅のオマメ

 座りション…..インド辺りは男も座ってオシッコをする 立ってする者もいる

 カーマスートラ….愛の経典 指南書

 風の谷のナウシカ…..フンザの景色はこの漫画(映画も)似ている 旅人の噂で 宮崎駿氏がフンザを訪れて 村のイメージソースになったといわれている 

 アレクサンドロス3世….アレキサンダー大王 東方遠征で今のアフガニスタン あたりまで帝国を築く

 赤い靴……童話 5番まである 歌詞2番 ♪横浜の波戸場(埠頭)から汽船~♪ の為山下公園には女の子の銅像がある 

2011-08-13 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed