旅日記3インド

旅日記 バージョンアップのお知らせ

 山崎大悟氏による 旅のイラスト     

 『インド プリー1 暴走バスプリーへ』

に描いていただきました イラストはその光景そのもの!!でした

今 思うと イラストさながらシュールだった、、、、

2010-05-29 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド バラナシ3 路上の兵器

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 自分が幼少のころノラ犬はそこかしこにいた だから犬のフンもそこかしこ

一歩手前にあった ノラ犬がよく徘徊していた時代の犬は中型犬が多く

 大型犬はうちの近所は皆無であった

 だから落ちているフンもちっこい物だった

 飼い犬(ペットとは言わない)も中型犬が圧倒的であった ”飼い主のマナー”

というのはまだその頃浸透せず 散歩に連れて行くにせよ フンはそのまま

マーキングのように放置され 刈り入れの終わった田んぼには フンは肥料に

らるからと言って勝手な飼い主の判断でやはり放置された

 うっかりすると見逃すぐらいの小ささだった というのが 災いして ズック靴

踏んでしまったり 秋から冬にかけての田んぼで土遊びをして 間違って

炭の燃えカスみたいなフンを一緒にコネて遊んでしまったことは記憶の

引き出しのすぐ手前にある

 ようは 踏んでしまったり手にもしたものだった、、、、

 インドを旅してノラ犬はそこらにウロチョロしている やはり中型犬が多く

ヨガの修行僧のようにガリガリに痩せていて 子供達によくいじめられていた

そのせいかどの犬も上目遣いに おびえるように見ている犬が多かったが

旅人にはその腹いせなのか 吠えているのをよく見たものだ

 あれだけインドにノラ犬がいたのだから犬のフンは至る所にあったと思うが

記憶に無い ノラ牛のフンの存在があまりにも大きかったからだ

”木は森に隠せ” という まさにそれだ!(か?)

 バラナシの狭い裏路地では 今日もノラ牛が行く手を阻む 

漆黒の瞳が宙を彷徨いながら ユルーいフンをだらしなくボタボタたらしていた

 裸足の少女が行く手を阻む牛を邪険に叩いて追い払い 石畳に広がったフンを

一応よけていく、、、、広い意味で踏んでるよな、、と思いながら大きく跨ぐように

フンをよける

 ノラ牛のあまりにも存在の大きく そしてあまりにもぞんざいにあるフンは

時としてインドにおける兵器だった

 昼間はいい 見えるから 夜が怖い ぞんざいにある上 存在がデカイからだ

 インドはよく停電する ”人口に対して電力量が足りない” とか ”ネズミが電線

を齧るからだ ” とか 諸説あったが 1日のうちによく停電があった 

 夜のとばりが落ちる頃 インドでは電気も落ちる

 裏路地の店で晩飯を食べてる時だった 前触れも無く明かりが落ちた

一瞬で真っ暗になる すぐにいたる所から怒号があちこちから聞こえる

きっとTVではいい場面だったのだろう 暫くすると 周りでは自家発電の

モーター音がドカドカ聞こえる 食堂では各テーブルに ロウソクを出してくれる

薄暗いロウソクの灯りでメシを食べると味覚と嗅覚が敏感になる   

意外に乙な不思議な体験であった

 扇風機が回らない蒸し暑い店を出ると 外は店より涼しい

裏路地を壁に伝ってゆっくり歩く 自家発電のこもれ灯で何とか手元付近は

見える すっかり意識を手元に集中していた 

 で 牛のフンをフンでしまった 

踏んで滑って手が路地に受身の犠牲になる やっぱりだったが

”何か!”が 手のひらに付いた

 サンダル履きの足はくるぶしの下までインドの兵器がベットリ付いたようだった

 土ふまずの内側までベットリ付いたの感触が脳にシャウトする

 ”土踏まず ”なのに時としてフンを踏む

ベットリ ”何か!”が付いた手は怖くて臭いを嗅げない

ゾンビみたいな歩き方で宿に着き サンダルを脱いでバケツに水を汲み

宿の前まで戻って足と手を洗う サンダルはサーフ(洗剤)をふりかけ 丁寧に

洗う そっと嗅いでみる さすが草食動物だけあって その後の臭いは

マイルドだった

 正直言うと インドのトイレ方式(No Paper, by my left hand)は

この時まで数回であった せっかくサトシ(インド カルカッタ2 参照)に

教わってもどうも心の奥底のストッパーをはずすことが出来ずにいた

 それでも 調子のいい日(ユル過ぎない時)試してみた

 トイレ後 ジャブジャブ水をかけ我がケツを洗うも その水がケツから

内モモを経て足首まで伝っていくのがなんとも不快であって 馴染めないで

いた 洗った左手もジッと見ることしばしば

 こんなに手を見ていたのは初めてオッパイを触った次の日以来だった(と思う)

 自分のナニが付くならまだしも 牛のナニが手に付くのは本当にハラタダシイ

 この歳になってもフンを踏んでしまい 手にもしたのだった

 旅のオマメ

  ズック靴………布製でゴム底の靴のこと(すべてが薄かった) 今でいうスニーカー

 調子のいい日(ユル過ぎない時)…..インドにいる間は固いウ○コは出なかった 常に少し ユルかった

2010-05-27 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド バラナシ2 河の流れのように

この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 カルフォルニアだったかカリフォルニアだったかコミニケーションだったか

コミュニケーションだったか刺客しきゃくだったかしかくだったか今もって

曖昧にしている言葉が多々ある

 バラナシも実はバナラシだったかバラナシだったか思い出す度に毎度

どちらだったか考える インドで1番長く滞在したのにもかかわらずにもだ

 今こうしてバラナシと書いてもあと数日過ぎればどっちだったか考える

のを繰り返す、、、、、必ず

 バラナシで目を真っ赤にしているサドゥーから 『ヘイ ジャパニー カム!』

と偉そうに呼ばれタバコと否なるものをよばれたり ラッシーというヨーグルト

飲料を極左にカスタマイズした翠色のラッシー(ストロング)を飲まされたり

一緒に包んでもらったクッキーを齧ってガンガーに跳ねる河イルカを眺めてたら

数週間がアッという間に過ぎていた

 バラナシにいると今までとは極端に行動範囲が狭くなる 更に刺激を

求め新たな所に行かなくてもガンガー沿いをブラブラしたり裏路地をウロウロ

しただけで大まかな括りのインドのイメージがそこかしこにあり ”旅の刺激”

という回路に負荷をかけてくれる

 ムンバイの街にあるマクドナルドでソフトクリーム(7Rs)をチビチビやりながら

避暑していると恰幅のいいインド人から ”インドを旅しているなら リシケシュ

は行ったか タージマハルは見たか?!”と矢継ぎ早に聞いてくる 

”これから バラナシに行くんだ!”というとイイ顔をせず

”もっと 良い所はある!!”と 力説された  

どうも巻き舌の英語にてっぷりした腹から出される声は威圧感が否めない

なんとも偉そうに言う オッサンの食べていたマハラジャバーガー(49Rs)

欠片と唾が自分の頭と顔に飛ぶ

 インドの金持ちはバラナシという街を快く思っていないのであろうか

正直綺麗な街ではない ガンジス河ばかりがTVでフィーチャーされ

外国人が抱く不思議大国インド≒ガンジス(バラナシ)で固められた

イメージを払拭したいのであろうか もっと見るべきインドは多くあるのだ!

自分もそう思う が それでもガンガー(ガンジス河)の磁場は旅人にとって

求心力はストロングだ

 ガンガーがゆっくり流れるバラナシは「欲と祈り」 「生と死」がぐるり見渡すと

そこかしこにあった

 ガンガーがパンパンに膨れた紫色の死体をゆっくり運んでいく  河の流れに反って泳ぐ子供達の後ろをゆっくり流れに沿って死体は流れていく

 

 死体は焼かれて骨になるものだと当たり前の日本にここでは焼かれず

そのまま河に流されることがある サルが亡くなるとここでは手厚く火葬

されているのにもかかわらずに

 ガンガーがパンパンに膨れた紫色の死体をゆっくり運んでいく  ガンガーの水面に河イルカの背中が時々見える傍を人の死体の背中が流れていく

 河の流れに人々の感心ごとは個人の未来であったり 来世であって 又

生活の糧や生活の営みであって 死体は無関心のように見える

 ガンガーがパンパンに膨らんだ紫色の死体をゆっくり運んでいく 観光客を乗せた手漕ぎボートに沿って死体はゆっくり流れていく

 いつか見た藤原新也の写真を思い出していた だらんとした人の死体に

犬達が群がっている 

 『ニンゲンは犬に喰われるほど自由だ』 写真にそんな一文が添えてあった

 ボンヤリと過ごしていく自分の日常に「死」 といのは荘厳であって尊厳で

あって「死体」は非日常であった なんとなく「死」というものに興味を持つのは

タブーを匂わせるなか それでも心の隅からこっそりヴィジュアルで見る

「死体」は美しく見せるものだったり 退廃的に思わせるものだったりで

「死」に対して幻想があり 「死体」に対しては遠慮があるように思えるなか

藤原新也の写真はただただショックであった 文もショックだった

非常識と思ったと同時にこんな写真と文を載せる藤原新也という人が

羨ましくも思った 「見る」事に刺激を求めていた当時この写真と文は

特に印象に残っている

 ガンガー沿いの街では子供の死や不慮による死は人生を全うできなかった

とされ火葬されない その代わりにそのままガンガーに流す そのことにより

魂は浄化され来世は幸せになると約束されているのだという

 身体は魂のクルタパジャマサリーみたいなものだろうか

死をもって魂の服を脱ぐ ガンガー沿いに住む人々の亡くなった人への

悲しみはどのくらい続くのだろう ガンガーが悲しみを癒してくれるのだろうか?

だとしたら このゆっくり流れる河はとても速い 、、、、と思う

 旅のオマメ

 ストロング……..マイルドもある

 河イルカ………..ネズミ色をしていた

 ムンバイ…………南インド最大の都市 インド映画ボリウッドが有名

 マクドナルド……..クーラーがガンガン効いている ファストフードショップだが来ている  人々は金持ちそうでした 

 マハラジャバーガー….ビッグマックのインド版 牛は神様なのでビーフ100%は無い マトン(羊)のパティ

 サル…….インドではサルはハヌマーンという神様

 クルタパジャマ……インドの男性の国民服 寝るときのパジャマはここかららしい

 サリー………インドの女性の国民服 

 

2010-05-19 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド バラナシ1 バラナシへ

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

 バラナシ行きの列車はゆっくり北東へと目指していた

UPPER席が取れずLOWER席(予約席)に座るもMIDDLEの席の

我儘なオッサンが早々MIDDLEのベッドを作ってしまいLOWERの席は

腰を極端に曲げなければならないという なんとも窮屈な姿勢であった

(インド ダージリン1 旅のオマメ 参照)

 文句を言ってもMIDDLEのオッサンはヘラヘラして一向に聞く耳を

持たない 周りのインド人も何も言わないままだった この全然

ナイスミドルじゃないMIDDLEのオッサンに腹を立てながらも腰を

滑らせて天井の低い席で暫く過ごすことになった 不思議なのだが

MIDのオッサンが既にベッドを作ったわけだからこの席(シート)

には自分1人ということになると思うのだが何故か今この天井の

低い席にインドの子供2人が一緒にすまして座っている、、、 

 列車は時に恐ろしくゆっくりインドの大地を進む

 何も無かった黄土色の平地に綺麗な色の服を着た女性が1人

カラカラの土地に何かを蒔いている クジャク(たぶん)が舞い降り

女性の蒔いた後をついばんでいく、、、、 なんとも牧歌的な風景だった

 相変わらずインドに降る太陽光線は土砂降りだ

 ゆっくり進む列車に物売りが現れる ありがたいのはよ~く冷えた

紙パックのマンゴージュース(150ml)2個買いもまだ飲み足りない

 列車は車両間に通路が無い為物売り達は次の停車まで乗り込んだ

車両を何往復してセールスをすることになる

 ♪チャーイ チャイチャイ チャーイチャイチャイ コピコピ♪♪

 (チャーイ~のとこは築地のセリ風に喉を絞るように声を出し

 コピコピで一気に喉の力を抜けさせ5オクターブ音階をあげる)

独特の言い回しで(そう聞こえた)チャイ屋(コピはコーヒー)が

行ったり来たりしている 

 長距離を走る列車に食べ物や飲み物には購買意欲が高まるが

サンダル売り 電池売り 延長コード売りなんてのも停車ごと

乗り込んでくる 誰がこんなときに買うのだろう、、、とインドの不思議が

1つ又1つとインドの人口並に増えていく それでも乗客のオッチャンが

ベルトを買っていた 物売りは車両内を何往復もしているので大量の

ベルトを両腕に下げた物売りがオッチャンの横を通り過ぎる度に

” もう1つどうか ”と聞いていた (今思うと買うという行為は喜捨に

なるのか?)

 陽が落ち月が上がるとやっと周りの席でもMIDのシートのベッドを

作り始めた 一緒に座っていた子供達はどうするのであろう、、しかし

”じゃっ そういうことで”風に手刀を切るジェスチャーで子供達を

やんわり追い払い席に横たわる 心地よい揺れに昼間の暑さも

あってグッタリグッスリ寝てしまった、、、、どのくらい寝たのだろう

人肌の温かさで目が覚めると 何故か狭い我がシートにさっきの

子供達が自分と添い寝している 何故? 見渡すと通路やシートの床

にも人が寝ている うっすら思っていたのだがシート数に対して

乗客人数がかなり上回っていた 不憫に思い LOWの席は 

こういうものなのか?とも思い そのまま子供達と『川の字』には

あまりにも川幅の狭い状態で再び寝る インドの子供(推定5歳)

の寝顔もかわいいもんだ(もう1人は結構な兄ちゃんだった推定15歳)

 陽が東に上がっても南に上がっても列車は進む

 我がヘインズの肩口と首周りが汚れでくすみ始めた頃バラナシ駅に

着いた 26時間の旅 時刻は16時チョット前 到着予定時刻より

ずっと経っていた 腰が痛くケツは既に感覚が無くなっていた

伸びをしながら駅を出ると ”待ってました ” とばかりに

リキシャワーラーがワラワラよって来る 宿街に行くには少し距離が

あるようだった が 固まったひざを動かしたく歩いて宿を目指すことに

した 街は車とオートリキシャーの質の悪いガソリンから吐き出される

排気ガスと無駄に鳴らす妙に甲高いクラクションの騒音と人々の吐き出す

Co2と怒号というインドの見慣れた光景の中を進む ここはインド有数の

聖地という所なので インド各方面から巡礼に来る人も多い それに

混じってエセインド人の格好をした外国人やバックパックを背負った

バックパッカーからポーチをさげたツアー旅行者達まで点々といる

 ビニールハウスの中のような暑さと騒音と怒号が渦を巻き

朦朧として歩いて来たことに後悔し始めた頃 何かを焚いた香の

ような匂いが鼻にツンとしてくる 路地売りの野菜をハんでいるノラ牛

の背中越しに河が見える

 ガンガーだ!!(ガンジス河)

 手動のくみ上げ式ポンプの井戸があり顔を洗い サンダルごと足を

洗う 目の前の階段を降りるとガンガーが一望できる 

チャイ色(ミルクティー)のガンガーを夕陽がオレンジ色に反射させている

 バックパックを背負ったまま仁王立ちでガンガーを望む 

 感動だったかといえば不思議な気分が最初だった 今ここにいること

が不思議だった 『兼高かおる 世界の旅』から始まった ボンヤリとした

旅の憧れは時を経て 藤原新也 沢木耕太郎の本などに触れハッキリとした

旅への憧れになり ブラウン管の中や写真からしか見たことの無い

風景を 今こうして直に見ていることの自分にとても不思議だった

 今までの旅の日々を回想してさまざまな思いをガンガーの流れに

沿って感動がジワジワ湧いてくる 階段に腰掛け 旅に酔っ払っていた

、、、、のも束の間 バックパックを背負っているので 宿の客引きの

子供達がワラワラよって来る ついでにハガキ売りや神様の人形売りも

ワラワラよってくる この中に ”モケ ”はいるのだろうか?

旅以前に観たTV版『深夜特急 ‘97 西へ!ユーラシア編』の

バラナシ(TVではベナレスといっていた)で主役の大沢たかおに

”カミサマ カウカ?(神様 買うか?)”としつこくセールスしていた

人形売りのモケを思い出す 

 気持ちよく旅に酩酊していたかったが あしらってもあしらっても

しつこい子供達で一気に醒める 追い払い宿を目指す 宿は旅人から

聞いていた宿に決めていた 追っ払いながらもそれでも付いてくる

子供達は今度は勝手に宿までをガイドする

 頭から灰をあび額に白い3本線を引いたサドゥーが目を真っ赤にしながら

こちらを見ている フンドシ一丁で沐浴するジイさんの横でオジサンが沐浴

ついでにガンガーの水で歯を磨きゆすいでいる サリーを着たままのバアさん

の少し離れた所でオバサンがガンガーで鍋や皿を洗っている 子供達は

河遊びに夢中で青年達はクリケットに歓声を上げている

 宿はバックパッカー伝説の宿『久美子ハウス』 の隣の

『ヴィシュヌゲストハウス』 部屋は日本人専用のドミトリーに空きが

あるということなのですんなりチェックイン ベッドの下に貴重品入れ

がある(自分の持ってる鍵で施錠する) 日本人専用の部屋なので

盗難の恐れは心配ないハラマキ型の貴重品入れもここに入れておけば

良いだろう ここは暫くの間長くなりそうだった

 旅のオマメ

 兼高かおる世界の旅…… 日曜日の朝やっていた 旅番組 聞き手 芥川隆行 兼高かおるの上品な語り口に子供心ながら感心していた

 藤原新也……写真家 作家 代表作『印度放浪』など

 沢木耕太郎…..作家 代表作『深夜特急』など

 深夜特急…..バスでユーラシア大陸を横断する話 TVでは‘96‘97‘98と三部作

 モケ…….深夜特急番組制作側からギャラでどっかでお土産屋を始めた などの旅伝説あり

 クリケット….. 野球っぽいスポーツ 投げたワンバンの球を打つ 事しか分からなかった インドやパキスタンではメジャーなスポーツ

 久美子ハウス…..久美子さんがやっているバックパッカーおなじみの宿 賛否両論すぎる宿

2010-05-03 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed 

 

インド ハイダラバード 遺跡で

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

この旅日記を読んでいただいてるお客さんから ”遺跡の話がいっこうに

出てこないが行かなかったのか?”という問をいただいた 実はしょっちゅう

行っていた ただ自分の筆舌に程遠いスケールだったので書けないで

いるのだ(日記には凄いとか広いとかアイドル並の表現しかしてない、、)

 だけど今回は遺跡での話し

 カーニャクマリからブラブラ渡り歩いてハイダラバードというデカン高原の

中にある土地に着いた アジャンター石窟寺院やエローラ カイラーサ寺院

(世界遺産)がある有名なところだ

 インドに来て古い寺院の壁や博物館に展示してあるカーマスートラ的な

レリーフを見るたびに他のアジアではあまり見られなかった性の奥行きの

広さやふところの深さを目の当たりにして妙に感心していた

 今(1999)では考えられない自由すぎる性の表現だった いつの

時代からかインドは公の場ではあからさまな性の表現はタブーと

されている インド映画では美女が雨(水)に濡れながら歌うシーンが

盛り込まれている 女優さんの濡れたサリーがボディーラインにくっきり

浮び クネクネした姿で髪や口元に水滴がしたたる妖艶な姿にインドの

男達は前のめりだ 

 今のインドは性の文明開化(開放)はもしかしたらムガール帝国

より鎖国(閉鎖)的なのかもしれない しかし男という者は哀しいもの

で性的なものを抑圧されればされるほど脳ミソをしごいて出した

妄想から五感を使い いつの時代も一部残念な暴走へと変わり自分の

世界観の開放(男限定)を恥ずかしげも無くやってのける

今まで見てきた遺跡の石で出来た神様のオッパイだけがツルツル

ピカピカしていた 老いも若きもペタペタと冷たそうな固いオッパイを

さわってデヘヘしている姿をしょっちゅう見た

                                                           イラスト 山崎大悟

”自分の身体の悪い所を石像の神様と同じ所を触るとよくなる”

というような民間伝承療法とは一線も二線もはずしているはずだ

 アジア一帯の遺跡のオッパイはだいたいツルツルピカピカしている

マジンガーZのダイアナンAみたいなオッパイの石像を見るたびに

ここでも、、、、と微笑ましくもなんだか哀しい思いもした

 アジャンターやエローラでも勿論例外ではなく石の神様のオッパイは

ツルツルピカピカしている

 アジャンターの石窟寺院群は仏教 ヒンズー教 ジャイナ教と時代

が変わるごとに(宗教が変わるから時代が変わるというのがこの時代

はしっくり来るかもしれません)石窟内の様相も変わる 壁画は今でも

その時代の色彩まで伺える

 カイラーサ寺院は祈りの建造物というより権力というイメージが

あり『寺』とうより『城』がしっくりする 1つの岩山を削った寺院なので

繋ぎ目が1つも無い又つけたしも無い(と聞いた)

 遺跡を目の当たりにするたびに大きさや時間の永さのスケールに

圧倒され 勝手にその時代にチューニングを合わせたつもりで栄枯衰退

をシンクロしたつもりになって感動やら感慨やらをここでも味わった

遺跡は時代のランドマーク 

 そしてここハイダラバードはデカン高原という伊豆高原とはケタ違いな

大きさの高原の中にある 岩山に登ってこの高原の広さにも圧倒されていた

密林があったり果てしなく続きそうな平原があったりをひとくくりした

デカイ高原であった 高原といっても 涼風が頬を撫でるような避暑地

ではなく熱風が体全体にフルスイングパンチを浴びせる灼熱地 ここの

どこかにカルカッタのホームレスがいるのかもしれない、、、、、

(コラム ゾッとする話 参照)

 エローラのカイラーサ寺院を後に帰り道をグッタリしながら歩いている

時だった 数匹のサルが現れ写真をとってファインダーから顔をあげると

あれよあれよ 囲まれていた およそ30匹 サルといっても 

”母を訪ねて3千里”のマルコの肩に乗っている ”アメデオ”を

ひょろ長くさせた 喜怒哀楽の喜も怒も判らない表情をしたサルだった

(身長80センチ推定)シッポが妙に長い 昔々ブラウン管の中だったか

動物園の檻の内だったか見たことがあるようなサルだった

 人であれば言葉がある 通じなくても国際力(喜怒哀楽のハイテンション)

でコミュニケーションが図れるが動物となるとそうもいかない 国際力

なんてのはもってのほかだと思う とにかく目を合わせないようにして

デカン高原のデカイ大空を仰ぎながらノロノロ歩み始める ドクドクと

鼓動が打つ16ビートとなんだか分からない鳥のさえずりの不協和音に

世界は自分の為だけにはシンフォニーしていないのだと改めて思った

 ノロノロした牛歩にサルの群れに一筋の道が出来た バッグを握り締め

ノロノロ進む 群れを抜け 暫くはなおもノロノロ歩いた後チラっと後ろを

振り返るとサルは何事も無かったかのように三々五々散っていった

 いったいなんだったのだろうと 全身スッパイ汗を出し 握っていた

手の溝に真っ黒い線で残念な頭脳線をクッキリさせていた、、、

けど 大丈夫 生命線はしっかりと弧を描いている  当分死なない

 遺跡というと見た感動よりちょっとした体験の方が印象深かったことが

多い やはり長旅とはそんなものだと思う

 旅のオマメ

 カーマスートラ……. 古代インドの愛の経典 なかなかの指南書

 ダイアナンA………. 弓教授が作った女性型戦闘ロボット オッパイがミサイルになっている

 ジャイナ教……. 大まかに仏教とヒンズー教の合いのこ と聞く ここの信者さんは殺生は絶対というぐらいしない 歩くときも箒を履きながら虫を踏まないようにしたり 菜食主義は勿論だが根野菜は虫がついている恐れからか食べないと聞く

 母を訪ねて3千里….. イタリアの男の子がお母さんを追ってアルゼンチンまで行く話し宮崎駿アニメ 宮崎氏曰く マルコを早く母に逢わせたかった と後日談

2010-04-23 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed