インド ハイダラバード 遺跡で

 この投稿は1999年から2001年までのバックパックを背負って世界を放浪した話を書いてます

この旅日記を読んでいただいてるお客さんから ”遺跡の話がいっこうに

出てこないが行かなかったのか?”という問をいただいた 実はしょっちゅう

行っていた ただ自分の筆舌に程遠いスケールだったので書けないで

いるのだ(日記には凄いとか広いとかアイドル並の表現しかしてない、、)

 だけど今回は遺跡での話し

 カーニャクマリからブラブラ渡り歩いてハイダラバードというデカン高原の

中にある土地に着いた アジャンター石窟寺院やエローラ カイラーサ寺院

(世界遺産)がある有名なところだ

 インドに来て古い寺院の壁や博物館に展示してあるカーマスートラ的な

レリーフを見るたびに他のアジアではあまり見られなかった性の奥行きの

広さやふところの深さを目の当たりにして妙に感心していた

 今(1999)では考えられない自由すぎる性の表現だった いつの

時代からかインドは公の場ではあからさまな性の表現はタブーと

されている インド映画では美女が雨(水)に濡れながら歌うシーンが

盛り込まれている 女優さんの濡れたサリーがボディーラインにくっきり

浮び クネクネした姿で髪や口元に水滴がしたたる妖艶な姿にインドの

男達は前のめりだ 

 今のインドは性の文明開化(開放)はもしかしたらムガール帝国

より鎖国(閉鎖)的なのかもしれない しかし男という者は哀しいもの

で性的なものを抑圧されればされるほど脳ミソをしごいて出した

妄想から五感を使い いつの時代も一部残念な暴走へと変わり自分の

世界観の開放(男限定)を恥ずかしげも無くやってのける

今まで見てきた遺跡の石で出来た神様のオッパイだけがツルツル

ピカピカしていた 老いも若きもペタペタと冷たそうな固いオッパイを

さわってデヘヘしている姿をしょっちゅう見た

                                                           イラスト 山崎大悟

”自分の身体の悪い所を石像の神様と同じ所を触るとよくなる”

というような民間伝承療法とは一線も二線もはずしているはずだ

 アジア一帯の遺跡のオッパイはだいたいツルツルピカピカしている

マジンガーZのダイアナンAみたいなオッパイの石像を見るたびに

ここでも、、、、と微笑ましくもなんだか哀しい思いもした

 アジャンターやエローラでも勿論例外ではなく石の神様のオッパイは

ツルツルピカピカしている

 アジャンターの石窟寺院群は仏教 ヒンズー教 ジャイナ教と時代

が変わるごとに(宗教が変わるから時代が変わるというのがこの時代

はしっくり来るかもしれません)石窟内の様相も変わる 壁画は今でも

その時代の色彩まで伺える

 カイラーサ寺院は祈りの建造物というより権力というイメージが

あり『寺』とうより『城』がしっくりする 1つの岩山を削った寺院なので

繋ぎ目が1つも無い又つけたしも無い(と聞いた)

 遺跡を目の当たりにするたびに大きさや時間の永さのスケールに

圧倒され 勝手にその時代にチューニングを合わせたつもりで栄枯衰退

をシンクロしたつもりになって感動やら感慨やらをここでも味わった

遺跡は時代のランドマーク 

 そしてここハイダラバードはデカン高原という伊豆高原とはケタ違いな

大きさの高原の中にある 岩山に登ってこの高原の広さにも圧倒されていた

密林があったり果てしなく続きそうな平原があったりをひとくくりした

デカイ高原であった 高原といっても 涼風が頬を撫でるような避暑地

ではなく熱風が体全体にフルスイングパンチを浴びせる灼熱地 ここの

どこかにカルカッタのホームレスがいるのかもしれない、、、、、

(コラム ゾッとする話 参照)

 エローラのカイラーサ寺院を後に帰り道をグッタリしながら歩いている

時だった 数匹のサルが現れ写真をとってファインダーから顔をあげると

あれよあれよ 囲まれていた およそ30匹 サルといっても 

”母を訪ねて3千里”のマルコの肩に乗っている ”アメデオ”を

ひょろ長くさせた 喜怒哀楽の喜も怒も判らない表情をしたサルだった

(身長80センチ推定)シッポが妙に長い 昔々ブラウン管の中だったか

動物園の檻の内だったか見たことがあるようなサルだった

 人であれば言葉がある 通じなくても国際力(喜怒哀楽のハイテンション)

でコミュニケーションが図れるが動物となるとそうもいかない 国際力

なんてのはもってのほかだと思う とにかく目を合わせないようにして

デカン高原のデカイ大空を仰ぎながらノロノロ歩み始める ドクドクと

鼓動が打つ16ビートとなんだか分からない鳥のさえずりの不協和音に

世界は自分の為だけにはシンフォニーしていないのだと改めて思った

 ノロノロした牛歩にサルの群れに一筋の道が出来た バッグを握り締め

ノロノロ進む 群れを抜け 暫くはなおもノロノロ歩いた後チラっと後ろを

振り返るとサルは何事も無かったかのように三々五々散っていった

 いったいなんだったのだろうと 全身スッパイ汗を出し 握っていた

手の溝に真っ黒い線で残念な頭脳線をクッキリさせていた、、、

けど 大丈夫 生命線はしっかりと弧を描いている  当分死なない

 遺跡というと見た感動よりちょっとした体験の方が印象深かったことが

多い やはり長旅とはそんなものだと思う

 旅のオマメ

 カーマスートラ……. 古代インドの愛の経典 なかなかの指南書

 ダイアナンA………. 弓教授が作った女性型戦闘ロボット オッパイがミサイルになっている

 ジャイナ教……. 大まかに仏教とヒンズー教の合いのこ と聞く ここの信者さんは殺生は絶対というぐらいしない 歩くときも箒を履きながら虫を踏まないようにしたり 菜食主義は勿論だが根野菜は虫がついている恐れからか食べないと聞く

 母を訪ねて3千里….. イタリアの男の子がお母さんを追ってアルゼンチンまで行く話し宮崎駿アニメ 宮崎氏曰く マルコを早く母に逢わせたかった と後日談

2010-04-23 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed