中国 カイラス巡礼 8 ヒッチハイク

この投稿は1999年から2001年までをバックパックを背負って世界を放浪した話を書いています

飛行機でその国へ行く時たまに夜の着陸だったりする 夜の不安にピリピリしていると

着陸時に見えてくるオレンジ色の街の灯りにそこに暮らす人々を想い 地上から

この飛行機の明りを見ている人はいるのだろうか、、、と想うと急に旅の期待にワクワク

しはじめる 幼少のころ低空を飛ぶヘリコプターや飛行機に手を振って

”おーい お土産買ってきてねー!!” と上空に叫んでいたことを思い出す

空の旅に慣れていないせいか夜の着陸の度にフト想いジンワリ思い出す

夜の移動に旅情を強く感じる

バスや電車もそうだ 日本の道は良い 乗り物に身を任せていても 我がケツが

浮くぐらいの揺れは滅多に無いが シンと静かな夜の車窓に写る自分を見て

何処かに行ってしまいたい、、という衝動に駆られ胸を掻き立てるほどの

郷愁の想いはカイラス巡礼のヒッチハイクのことから始まる

カシュガルからイェチェンという街まで 更にそこからアーバンまで行く。。。

というのをイトウさんから聞いて 『なるほど!』と答え ”そうなんだ、、”と思い

『了解』と答え ”そのあとは どうするんだっけ、、?”と思う

カイラス巡礼するというのに 我が奥行きの無い頭には[カイラス→ラサ]という

ボンヤリの括りしかなく その前後の事がこのとき未だあやふやなままでいた

(持っているガイドブックにはカイラスまでの事がちゃんと載っていたのだったが、、)

ハワイで買い物しようとするのに成田までどうやって行くのか解らないのギャルに似ている

イトウさんの体調が回復しつつあるので ケツに力を込めてもらって出発となった

イトウさんとしては不GUY無い自分(イシカワ)の気が変わらん内に、、と

焦っていたようだったが こちらとしてはもうすでに心に「カイラス入域」

のチケットを折ったり伸ばしたりしていたので気が変わって何処かに行こう!

とは全く思っていなかった

今(2012)こうしてアンサーブログで当時のカイラス巡礼を繰り返し振り返りして

知ったのだがイトウさんが焦ったりビビッたりしていたとは当時全く知らなかった そう

『長旅の~ ブラリふらりをする人は~ 肝が据わってる 我思いけり~ 』

当時の心境を詠ってみた なのでイトウさんでもカイラスへは心配だったんだな

、、と今更に思う

シルクロードの中継地 カシュガルからイェチェン更にアーバンまでの6時間程

道すがら揺れるバスに砂埃で車窓からの景色が拝めない窓ガラスに頭を打ちつけて

目を覚ますとイトウさんは「ガイドブックからの抜粋をコピーしたもの」を見て

これからのルートやらなんやらを確認しているその姿は今になって思うと

つぶらな瞳は今まで見てきたことが無いような真剣な眼差しで眉間の

縦に入るシワは深く深く入っていた、、、、、様に思えてくるし

バスに公安(警察)が乗り込んでくると ”公安と目を合わさず下を向いて!!”

の指示が中尾彬ぐらいのリズム&トーンからユースケサンタマリアぐらいに

思えてくるから勝手なもんだ  結局アクシデントも無くアーバンに到着

アーバンからアリという西チベット中心の街まで行きそこからカイラス巡礼

のベースとなるタルチェンまで行く 今までのバックパッカー達が作ってくれた

ルートを行く アーバンから先は公営のバスは無く 又民間人達がドライブに

行くような処でもない為 何かを運搬するトラックをヒッチハイクするというのが

唯一の交通手段 ヒッチといってもお金を払い乗せた運ちゃんの小遣い(結構な額)

になるので市場は開けているかといえば 決してそうでもない ここから先

外国人未開放地区といって 外国人立ち入り禁止の為 もし この先公安に

見つかれば 乗せた運ちゃんは罰金 入った外国人は即退場となる

意外にハイリターンだけどハイリスクなのだ それでもトラックは

見つかる!と思っていた 根拠は 無い ただ首に巻いていた

ダライラマ14世からの赤いヒモに手を触れると なんだか大丈夫! と

思ってしまっていた アーバンに着いた時刻ではすでに夕方だったが

まだまだ陽は高く日中の暑さの余韻を引きずっていたので アイスが旨い!!

どうやらイトウさんはそれ処ではなかったかもしれないが そそるアイスに

邪険な態度は出来なかったのだ 南北に伸びる道にアイスをしゃぶる2人の

影も次第に伸びていく アイスを食べ終わり 舌の余韻が無くなった頃 トラック

が忽然 というか突然やってきた イトウさんは待ったました!とばかり 停車させ

トラックの運ちゃんに 値段交渉だの アリまで行きたいだのを矢継ぎ早に言っている

で 自分はというとそのやり取りをただ遠くから見ているだけの役立たずだった

結局 交渉の甲斐も無くトラックは行ってしまう さらに陽が傾いていった1時間

程だろうかトラック再び 停車したトラックにイトウさんは突っ込んでいき 自分は

ココゾとばかり荷物番をする ここで自分が唯一覚えた『我是日本人』を連呼しても

なんの交渉の糸口にならないし事態は悪化するだけだろうと 再び静観、、、

しながら外国人を見つけると『This is a pen !  』 『This is a pen !! 』

連呼していた幼少の頃を思い出し笑っていた 必死にトラックを探し

交渉してくれたのに すまない気持ちが今更に思う

交渉の末ヒッチ成功 !! 2人して助手席に乗り込む 左ハンドル

の為右側に乗る景色が新鮮だ こうしてヒッチハイクの旅が始まった

旅のオマメ 

ヘリコプターや飛行機に手を振って~ …….昭和50年最初までの子供だったらやった記憶があるはず

ラサ……チベット最大の都

アイス……中国の袋入りのアイスは旨い

『This is a pen !  』 …..元ドリフターズ 荒井注(脱退後 志村けんが入る) の鉄板ギャグ 当時の子はみんな 言っていた 

 

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2012-10-22 | Posted in ISHIKAWA旅日記Comments Closed